平成25年9月23日(月)  目次へ  前回に戻る

 

今日の当番は拘泥斎があい務めまする。わたくし拘泥斎はどうでもいいことに拘泥して大切なことを見逃してばかり。情けない。

せっかく秋分の日ですので、秋分の日といいますとお日様が真西に沈む日ですから、ここはそこに拘泥して西の果ての西欧諸国のお話をさせていただきましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

法蘭西国奇女子若安者、亜爾格部人也。

法蘭西国の奇女子・若安なる者は、亜爾格部人なり。

フランス国のすごい女・若安という人は、アルザスの人である。

この若安は田舎の小さな家に生まれ、幼きより羊飼いを業としていた。野良仕事のため髪は風任せ、鬢を解いたことも無いありさま、

顧影自憐。

影を顧みて自ら憐れむ。

水に映った自分の影を見て、自分でかなしくなってしまうような見すぼらしさであった。

彼女は年頃になってもいい人が見つからず、ヨメにも行かずに家にいた。

ところで、

法国俗尚淫靡。男女集会歌舞。女輙以荘重自持。

法国の俗、淫靡を尚(たっと)ぶ。男女集会して歌舞す。女、すなわち荘重を以て自持せり。

おフランスの国ぶりといえば、・・・うっひっひ。淫猥なることを貴ぶのである。オトコとオンナが集まって、ダンスなどをするお国柄だ。しかし、この女は恥しがってそういう場には出なかった。

それで、周囲のひとたちは「変な女」と指さしてウワサしていたのであった。

さて、そのころに、

法国大乱、英吉利王顕理第六、遣兵来攻。

法国大いに乱れ、英吉利王・顕理第六、兵を遣わして来攻す。

フランス国の国内が大いに乱れ、これに乗じて隣のエゲレス国の王・顕理第六は軍を派遣して来寇してきたのであった。

「顕理第六」(けんりだいろく)は、もしかしたら「ヘンリー六世」かな?

英国王の軍はフランスの王都を抜き、さらにローヌ河を渡ってアラスの町にまで攻め寄せた。この町はまさにフランスの腹部ともいうべき枢要の地である。英軍の兵士は意気軒昂、道々に大いに掠奪を行い、人民らは塗炭の苦しみにあえいでおった。

女目撃心傷、身不顧一女子、欲為国家成再造功、拯民於水火中。

女、目撃して心傷み、身一女子なるを顧みず、国家の為に再造の功を成し、民を水火の中より拯(すく)わんとす。

女はこれらの様子を目にして心を痛め、ただのオンナのコであるにも関わらず、国家を再構築して人民を火や水の災害にも比すべき苦境から救い出そう、と考えた。

考えた。

考えた。

考えて、悩んだ。

そしてある日、突然、村人たちの前で言った。

上帝立我、俾克強敵、為汝等除害。

上帝我を立て、強敵に克ちて、汝らのために害を除かしむるなり。

「天上のデウスさまがわたいに啓示を下されたのさ。わたいはおそろしい英国軍を破って、おまえたちを襲う災害を食いとめてやるのさ」

「はあ?」「なんじゃと?」「いよいよおかしくなったか?」

村人たちは大笑いした。

しかし、やがて女の言うことを信じる者もあらわれはじめ、ついに彼らを率いて法王子(フランス王子)に拝謁したのである。

英軍に何度も敗北してほとんど孤立していた王子は、

此再不勝、大事去矣。

これ再びは勝たず、大事去れり。

「もう二度と勝利することはあるまい。もうおしまいなのだ・・・」

と嘆いていたが、援軍として現れたくだんの女とその率いる農民軍を見て感涙を流し、軍旗を与えた。

天主(ゼウス)の図像の旗をなびかせて女の率いる軍はさっそうと英軍を迎え撃ち・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

めんどうくさくなってきました。あとはみなさん知っているお話だと思うので、省略。清・王韜「甕余談」巻二より。

王韜は字・紫詮、清末のひと。かつて海外に出たことがあり、特に英国に長く滞在したといい、識者たちが海外の技術や経済の富強ばかりを紹介するのに飽きたらず、まことに西欧に学ばんとするならその国のひとびとの心を知ることが必要である、と考えて、見るところ聞くところの欧米の「忠臣・義士・節婦・烈女」の逸事を集めて同治十二年(1873)に出版したのが「甕牖余談」八巻である。なお「甕牖」とは、壁に底を抜いた甕(カメ)を埋め込んで牖(まど)にした貧しい家のことである。王韜は貧しかったのであろう。

※※※※※※※※※※※※

さて、一応みなさんにも考えていただこう、ということで、宿題です。この女「若安」は、いったいなんというフランス女の名前を音訳したものでしょうか。

あ) アーデルハイド  

い) ジャンヌ

う) オスカル=フランソワ

 

表紙へ  次へ