平成25年9月22日(日)  目次へ  前回に戻る

 

明後日は平日だから明日はもう樹木に戻るわたしです。わたしが樹木に戻ったあともみなさんには学問を続けていただきたいものですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

善学者、師逸而功倍、又従而庸之。不善学者、師勤而功半、又従而怨之。

善く学ぶ者は、師逸なれども功倍、また従いてこれを庸とす。学ぶに不善なる者は、師勤なれども功は半ばにして、また従いてこれを怨む。

よく学ぶ者は、師匠がさぼっていてもその教えの倍以上の進捗を示し、また従学した相手には感謝するものである。一方、学ぶのがダメな者は、師匠が一生懸命やってもその教えの半分しか進まず、また従学した相手を怨むものである。

だそうですから、みなさんの学問がその程度しか進んでいないのは、わたしの教え方がまずかったわけではないのですよ。

善問者如攻堅木、先其易者、後其節目、及其久也、相説以解。不善問者、反此。

善く問う者は堅木を攻(おさ)むるが如く、その易きを先にし、その節目を後にし、その久しきに及ぶや、相よろこびて以て解く。問うに不善なる者はこれに反す。

よく質問する者は、堅い木を工作するようなもので、まず柔らかいところから手を加え、節目のある硬いところは後にする。長いこと作業をしていれば、やがてとろけるように完成するものである。質問がダメな者はこの反対で、硬く難しいところから始めるから、いつまでもそこから進めない。

「説」は字義どおり読んで「学説」のことか、「悦」と読んで「うれしくなる」と訳すべきか、という争いがありますが、とりあえず旧説である後者で訳してみました。

わたしが樹木に戻りましても、あまり堅い樹木にはなりませんので工作しないでくださいね。

さて、先生の資質も見抜かねばなりません。

善待問者如撞鐘、叩之以小者則小鳴、叩之以大者則大鳴。待其従容、然後尽其声。不善答問者反此。

善く問を待つ者は鐘を撞くが如く、これを叩くに小を以てする者は小鳴し、これを叩くに大を以てする者は大鳴す。その従容を待ちて然る後にその声を尽くす。問に答うるに不善なる者はこれに反す。

よく質問に対応してくれる人(への質問)は、鐘を撞くようなものである。小さく叩けば小さく鳴るし、大きく叩けば大きく鳴る。細部に関する質問には必要な回答をしてくれるし、本質についての質問には本質を答えてくれるものだ。質問する方は、答える側が答えたいことをひととおり答えてくれるのを待って、言いたいことをすべて言ってもらうべきなのである。鐘を撞くとき、鐘の響きが終わる前にすぐに撞いたのでは鐘の音をよく引きだすことができないのと同じ。質問への対応が不善なひとは逆になってしまうものである。

以上。

・・・・・・・・・・・・・・・・

この三つが「進学の道」だそうです。「礼記」学記篇より。よく噛みしめてやっていってください。では、またいつかお会いしましょー。

 

表紙へ  次へ