平成25年8月6日(火)  目次へ  前回に戻る

 

おふろを出てきて冷房をかけて、アイスを食います。

がりり。

ああ、しあわせ。

こんなときに会社から電話がかかってくる、ような身分にだけはなりたくないものだなあ。わははは。

ようし、調子がいいからコドモになっちゃうよー。

ぼうううううううううううんんんん・・・・

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ということで童子になりまちて、アイスを食べながらぼけーとしておりますと、窓の外から何やら憂わしげな女性の歌声が聞こえてまいりました。

(あ、子夜ねえたまの歌だ)

今宵は月夜ネコが不思議の夢を見ているのでしょうか、次元の一つか二つが歪んで、遠い六朝時代の時空から、名高い歌妓・子夜の声が聞こえてまいりましたのです。

その歌に耳を傾ける。

自従別郎来、  郎と別れてより、

何日不咨嗟。  いずれの日か咨嗟(しさ)せざらん。

黄檗鬱成林、  黄檗は鬱として林を成せば、

当奈苦心多。  苦心の多きをいかんすべき。

「黄檗」は「きはだ」。「きはだ」の芯は食らうと苦いので、黄檗が茂っていることは、「心がニガく苦しい」ということを導く。

 あんたと別れたあの日から

 毎日毎日ためいきついているばかり。

 きはだも繁って林に育つ

 どうすりゃいいのさ、あたいの気持ち。

(ねえたま、またやるせない恋に苦しんでいるのでちゅね)

もう一曲行きます。

誰能思不歌、  誰かよく思いて歌わざらん。

誰能飢不食。  誰かよく飢えて食らわざらん。

日冥当戸倚、  日、冥(く)るるに戸に当たり倚り、

惆悵底不憶。  惆悵として底(なん)ぞ憶(おも)わざる。

 思うことがあっても歌わないでいられるひとがいるだろうか。

 腹が減っても食わないでいられるひとがいないように。

 今日も日が暮れるころ、あたいは戸に寄りかかって、

 さびしくって、どうしてもあんたのことを考えないではいられないんだ。

(ああ、こんなに時空が離れていなければ、今すぐそばに行ってねえたまを抱きしめてあげたいものを・・・)

と思ったけど、おいらは童子。おとなの女性には相手にされないサダメでちたー。

お。

ネコちゃんが目を覚ましたかな。時空の歪みが正常化したらしく、もう子夜の歌声は聞こえない。

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「楽府詩集」「子夜四時歌」より二首。(実はちらでご紹介した三首の続きです。)

それにしても、六朝のうたはまっすぐな詩ばかりでございます。わたくしどもは、どこにこんな素直な心を棄ててきたのであろうか。もしかしたら昔は科学も経済も劣っていたのに、人の心は劣っていなかったのかも知れませんよー。

 

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