平成25年7月17日(水)  目次へ  前回に戻る

 

まだ平日が二日もある・・・。

心折れてまいりましたあ。立派なひとの言葉でも読んでおのれを叱咤激励してみるう。

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人有才気者、老而不見用、皆汨没萎弱、不及少年、此無学問充実之功。

人の才気有る者の老いて用いられず、みな汨没(べきぼつ)萎弱して少年に及ばざるは、これ学問充実の功無ければなり。

才気ある人が年老いて世に用いられず、沈みこんで弱ってしまい、若いころよりもダメになってしまっているのは、学問をして徳を充実させる努力を怠ったからである。

聖人や賢者は違い、年を重ねれば重ねるほどに多くの事案を経験し、多くのすじあいを見につけ、ますます精密に、ますます熟練していくものなのだ。

孔子さまも

四十不惑、五十知天命、六十耳順。

四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順う。

四十歳ごろには自分の方向性に疑いが無くなり、五十歳ごろには自分の使命を知り、六十歳ごろには何を言われても気にならなくなった。

と「論語」の中でおっしゃっているではないか。

四十以降も勉強し経験を積んで向上したのである。

非若後人聡明才気之士、老不及少也。

後人の聡明才気の士の、老いて少(わか)きときに及ばざるがごときにあらざるなり。

後世の目先が利いて才気あり、教育を受けたひとが、年老いて若いころよりもダメになってしまうのとは、まったく違うのである。

元の時代に、呉草廬という高名な儒者がいたが、彼が

三十年前好用功。

三十年前、よく功を用いたり。

三十歳まではほんとうによく勉強したものだがなあ。

と言っているのは、

亦説殺了。

また説殺し了す。

こりゃまたひどいこと言ってしまったものじゃのう。

呉草廬ともあろうひとが、三十以降はそれ以前よりも勉強しなくなった、とはのう。わっはっは、わっはっは。

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明の大儒・胡居仁「居業録」第八十六則より。

わたくし、三十歳のころにこの本を読んで、当時は何をどう考えていたのか知りませんが、どういうわけか「三十年前好用功」のところに赤鉛筆で線を引いておる。当時はそういう強い心でいたのであろう。

今やもう、胡居仁先生にはついていけません。年老いたら若いころより体も心も弱くなるのだから、劣ってきて当たり前ではないか、と思います。とにかくもうダメだ。

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ところで、本日某O本全勝さんから、昨日紹介した軍艦「清輝」について、「明治海軍の歴史」という書物に欧州訪問の記録がある旨の教示を受けた。それによれば、「清輝」が欧州を訪問したのは明治11年、西南戦争後であるよし。また当時の艦長は井上良馨で、昨日紹介した艦長の「挨廬野」(いろや)は「いのうえ」を何とか聞き写そうとしたものと思われる。
勉強になりました。多謝多謝。

 

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