平成25年7月12日(金)  目次へ  前回に戻る

 

今日はむかしのしごと仲間とイタリアンでちた。むかしのことは美化されるからなのか、楽しかった。そして明日はやっと休み。

・・・しかしまた来週が来る・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・

状如人乗馬、衆魚導従、一名魚伯。

状は人の馬に乗るごとく、衆魚導き従うは、一名、魚伯なり。

まるで人が馬に乗っているかのような姿で(水中に浮かび)、無数の魚を前後に従えている「もの」がいる。それは「魚伯(魚の指導者)だ」ともいう。

これは、あるいは「水居」とも呼ばれるそうである。

今(五代のころ。10世紀半ば)では滅多に見られるものではないが、漢の末ごろ、黄河の川べりでこれを見たひとの言によれば、

馬人皆有鱗甲、如大鯉魚。

馬人みな鱗甲有りて、大鯉魚の如し。

馬のような部分もそれに乗ったニンゲンの部分も、すべてウロコに覆われて、巨大なコイのようであった。

しかし、

手足耳鼻似人不異。

手足耳鼻は人に似て異ならず。

手足や耳・鼻はニンゲンと同じように見えた。

そうである。

時はすでに日暮れに近く、川べりはようやく暮れかけて暗かったが、それはこちら側を見て、巨大な口を顔いっぱいに広げ、一瞬笑ったようであった。

「んん?」

視之良久乃入水。

これを視ることをやや久しくしてすなわち水に入れり。

よく見ようと目をみはっていたが、しばらくすると水中に没してしまった。

その年、

大水有之。

大水これあり。

黄河一帯は大洪水に襲われた。

このあたりも大いに水災を受け、村々はほとんど全滅したが、そのひとだけは生き残ったということである。

・・・・・・・・・・・・・

五代・馬縞「中華古今注」巻下より。

魚ニンゲンちゃんがいたのでちゅねー! これはウルトラQやセブンにも出てきたやつだぞー!

とコドモ心に想像力を働かせ、現実から逃避しよう・・・としたが、またあとわずか80時間ぐらいすると平日の朝になることを思い出して、ダメになった。シ奴かも。

ちなみに馬縞(857〜936)は唐の末年に明経科に合格して官僚となり、後梁に仕えて太常少卿(副大臣)となり、後唐年間には戸部・兵部の侍郎(次官)から国子祭酒(国立大学学長)に昇ったひと。儒学、特に礼学に詳しく、西晋の崔豹「古今注」にインスパイアーされて、諸書を渉猟して知り得た知識を記録したのが「中華古今注」である。

 

表紙へ  次へ