平成25年5月17日(金)  目次へ  前回に戻る

 

全くのところ、サーカスを必要とする社会は不幸かも知れぬが、サーカスの無い社会の方がもっと不幸なのだということは、肝に銘じておく必要があるのではあるまいか。  (寺山修司大先生「鉛筆のドラキュラ」より)

寺山先生がおっしゃっているのですから、たいへん重要な教示である。憲法96条よりも貴重な不磨の御託宣というべきであろう。

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とは申せども、サーカスも必要ですが、パン(実用的なこと)も必要なのでございます。

五代・後唐の荘宗皇帝(在位923〜926)が契丹を破り、その軍を易州(ペキン附近)まで追撃したことがあった。

随其行止、見其野宿之所、布藁於地、回環方正、皆如縮剪。雖去、無一枝乱者。

その行止に随い、その野宿の所を見るに、地に藁を布(し)きて回環・方正、みな縮剪するが如し。去るといえども一枝の乱るるもの無し。

契丹軍の動きのあとをつけて、彼らの野営の跡を見たところ、地面にワラを敷いて宿営を設けているのだが、丸くすべきところはまん丸く、四角くすべきところは真四角に敷き詰め、その端はすべてみごとに切りそろえたように揃っている。追撃を感知して慌てて逃げ出したに相違ないのだが、ワラ一本も乱れていない。

荘宗、その様子を観察し、嘆息して

虜用法厳、乃能如是、中国所不及也。

虜の用法の厳なること、すなわちよくかくの如く、中国の及ばざるところなり。

「えびすどもの軍法の厳格さ、このようであるのか。中原の国でもかなわぬ。

これ以上深追いすれば痛い目に見るのは必定じゃ」

と言うて兵をまとめて帰路についたということだ。

胡人用兵、初無紀律、但其法難犯爾。中国法紀不明、賞罰無章、雖日講雲鳥之陳、談龍虎之韜、猶画餅也。

胡人の兵を用うるは、初め紀律無く、ただその法犯し難きのみ。中国は法紀明らかならず、賞罰章らかならざれば、日に雲鳥の陳を講じ龍虎の韜を談ずるも、画餅のごときなり。

「韜」はもと革で出来た軍服や弓射のための道具をいうが、「韜略」(戦略)、「六韜」(六種の軍事論)など広く軍事問題全体を指すために使われる。

野蛮人どもの用兵は、このころは細かい条例があったわけではないが、ただ決まりに従わないときつく罰せられるのであった。一方、中原の用兵は兵士らに決まりが何であるかをきちんと教えず、誉めたり罰したりする基準もはっきりしなかったので、将校たちは毎日のように「乱雲陣」だとか「鳳凰陣」だとかいう戦術の奥義を論じ、また龍と虎が戦うような高度な戦略論を談義しあっていても画に描いた餅のようなもの、実際には自由に陣列を動かすことは不可能であったのである。

高尚な議論よりも、まずは実地にものごとを動かすことができるのかどうか・・・が大切なのでございます。

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とエラそうなことを言ってしまいましたが、それはわたくしが言ったのではなく、明ひと于慎行が言ったのですので、悪しからず。「穀山筆麈」巻十一より。

ところで、「画餅」につきまして、蛇足します。

わたくしどもの現代のような高度な文明の時代でありましたら、

ハラが減っても画に描いたモチなら食べてもカロリー無いからダイエットにいい。だから役に立つものをいう言葉である。

というような意味になるように思えますが、これは古典のむかしのやつらが考えついた言葉ですから、文明が低い。「実用にならぬことの喩え」ということになっております。

典拠は「三国志」(魏志)廬毓伝

廬毓は吏部尚書(人事大臣)であった。文帝(曹丕)は廬毓が辞意をもらすと、その高尚な人柄を信頼していたので、

使毓自選代、曰、得如卿者乃可。

毓をして自ら代わりを選ばしめ、曰く、「卿の如き者を得ればすなわち可なり」と。

廬毓に自分で代わりになる者を選んで推薦してくれれば辞職を認めることとし、その条件として

「あなたのような人を代わりに得ることができるのなら、辞職を承認しよう」

と言うた。

毓は当時評判が高く、「四窗八達」(四方の窓から出入りでき、八方のかなたまで行きつくことができる)と呼ばれて才知をもてはやされていた諸葛誕やケ颶の名を挙げたところ、

「ダメじゃ」

帝疾之。

帝、これを疾(にく)む。

帝は彼らをお気に召さなかった。

おっしゃるに、

選挙莫取有名者、如画地作餅、不可啖也。

選挙には名有る者を取るなかれ、地に画きて餅を作すが如く、啖(くら)うべからざるなり。

人材の推挙には評判の高い者を採用してはならぬ。地面にモチの画を描いたようなもので、実際には何の役にも立たぬのだから。

と。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

画餅とはもともと人材の採用に関わる言葉であったのである。

よって、ポピュリズムに気をつけましょー。

こっちの方がぴったりかな?

―――すべてのインテリは、東芝扇風機のプロペラのようだ。まわっているけど、前進しない。(寺山修司先生「ああ、荒野」)

(昨日は古い知り合いが那覇に来ていたので晩飯。今日は飲み会。頭痛いよう。この年齢になってもいまだ酒の呑み方さえ知らぬわしに、どの方向に何を言っているやつがポピュリズムなのか、などわかるはずもないのであったが。)

 

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