平成25年3月18日(月)  目次へ  前回に戻る

 

なんとか帰ってきました。

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疲れまちたねー。

一曲聞いて寝まちゅか。

俸余蓄得許多金、  俸余蓄え得たり許多の金、

不買青山却買琴。  青山を買わず、却って琴を買う。

 給料の中から生活に必要な分を差っ引いていくばくかのお金を貯めたぜ。 

 そのお金で子孫に遺す青山を買う・・・いや、そうでなくて琴を買ってきてしまった。

「青山」は一般に墓所のことで「青山を買う」は子孫が幸福になれるように、風水の佳い墓所を買って自分をそこに葬らせる、という意味になります。が、ここでは作者はもっと広く「不動産」ぐらいの意味で「青山」を使っているようです。

朝坐花前宵月下、  朝(あした)には花前に坐し、宵には月下、

嗒然弾散是非心。  嗒然(とうぜん)として弾じ散ず是非の心。

 朝には花の前、夕べには月の下、

 すべてを忘れ琴を弾けば、何が正しくて何が間違っているか、なんてどこかに飛んで行ってしまおうものぞ。

もう一曲聞いて寝まちゅか。

結廬幽谷密林間、  廬を幽谷に結び林間に密(ひそ)めば、

竹月松風相対閑。  竹月松風に相対して閑なり。

 おさびし谷に庵を結び、おいらは森の中で暮らすのさ。

 竹の間から洩れる月光、松を吹く風。 おいらはそいつらとだけ付き合って、心はのどか。

却笑隠淪忙庭事、  却って隠淪を笑う、庭事に忙わしく、

朝朝洗硯写青山。  朝朝に硯を洗い青山を写せること。

 けれどかえって隠者の生活も笑われるかもね。意外と忙しいのだ。

 毎朝毎朝、すずりを洗って墨を磨り、庵から見える緑の山を画いているのだから。

はっはっはっは。

そうでした、わしは隠者なのに、最近なぜかしごとと飲み会で人生を磨り潰しているようなマボロシを見ていただけで、本来は山中にあって現世からすでに逃れているのである。

みなさんはわしのような隠者にはならないのかな。

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・・・というような夢を見て、涙流しながら今晩も眠るのさ。

ちなみに上記二篇の詩は、備前のひと、浦上玉(1745〜1820)の「雑詠」二首。

玉堂・浦上兵右衛門は鴨方藩士、四十九歳にして脱藩して京都に出た。儒学に通じ、また詩画を善くしたので、一般には山水画家として知られる。琴は幕府医官・多紀蘭溪に学び、玉堂琴士の号あり。「奇事小志」「絵事小談」「玉堂詩稿」などの著書あり。おいらのあこがれの人・・・だったんでちゅう。玉堂子の脱藩の歳さえ過ぎて、なお夜ごとに枕濡らしながら宮仕えを続けているおいらなんかに、彼に「あこがれ」ているなんて言うことはもう許されていないであろう・・・。

 

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