平成25年3月13日(水)  目次へ  前回に戻る

 

○HKが中山成彬議員の質問画像をネット上削除させたり、説明のつかない行動をし始めたんだって?

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隋末唐初の群雄割拠の時代に、王君廓という男がおりました。

はじめ群盗に投じて

勇力絶人。

勇力、人に絶す。

その堯勇と怪力は余人の及ぶところではなかった。

という人物ですが、その果断酷烈な能力を唐の高祖に見出され、高祖のいとこに当たる廬江王の典兵事(軍事面を補佐する将軍)に任命され、惰弱にして軍事の才にあらず、と言われた廬江王を助けて、山東一帯において、群雄のひとり竇建徳と争った。

ある時、竇建徳の軍が現れたと知って全軍に出動を命じ、自ら馬に騎ったところ、軍師として参画していた李靖(後に太宗皇帝のもとで軍略のことに当たり、衛公に封ぜらる)が

「お待ちあれ! ワナかも知れませぬぞ」

と押しとどめた。

すると、

君廓発憤大呼、目及鼻耳一時流血。

君廓、憤を発して大呼し、目及び鼻・耳、一時に流血す。

王君廓は激情がバクハツして、「おおおおー」と大きな叫び声をあげ、目と鼻、耳から、同時に血を噴き出したのであった。

李靖のことばを理性では理解し、たけりたつ感情を抑えようとしたので血が噴き出したものらしい。

後にこのことをお聞きになった高祖から

此之壮気何謝古人。

この壮気、何ぞ古人に謝(は)じんや。

「そのおとこらしさ、いにしえの人にひけをとらんのう」

と称せられて多大な褒美を賜ったのでありました。

わたしどもも、○HKや○日の振舞いを見ていると、目・鼻・耳から血が噴き出すほど腹が立ってまいります。が、押さえこんでも血が噴き出すほどではありません。その壮気いまだ足らざるを古人に羞じねばならぬのカモ。

なお、王君廓はやがて廬江王に疎んじられ一度軍権を奪われますが、これをクーデタで取り返して逆に「逆賊」として廬江王を誅殺しております。そしてこの「逆賊」誅殺の功によって幽州(今のペキンあたり)の都督(総督)にまで昇りますが、今度はその行動がほしいままなのを批判されて都に呼び戻されることになる。

その途上、

行至渭南殺駅史而遁将奔突厥、為野人所殺。

行きて渭南に至るに、駅史を殺して遁(のが)れ、突厥に奔らんとして、野人の殺すところとなれり。

河南の渭南のあたりまで来たときに宿場の長官(護送・警衛の任にも当たる)を殺して、敵国である突厥(テュルク)に亡命しようとしたが、途中で野盗に殺されてしまったのであった。

盗賊から身を起こして盗賊に殺されるとは・・・。終わりを全うしなかったのである。

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「旧唐書」巻六十「廬江王伝附王君廓伝」より。

なお、高祖から「古人に謝(は)じず」といわれている古人とは、戦国時代の趙の外交家・藺相如のことで、例の「完璧」の逸話の際に彼は秦王をにらんで怒鳴りつけた、そのとき、

目皆出血。

目、みな出血す。

両目からどくどくと血が流れた。

という「史記」の記述に拠っているのでございます。

 

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