平成25年3月9日(土)  目次へ  前回に戻る

 

いいお天気でちた。青い海を見てきた。

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本日、「新版 明治の禅匠」(禅文化研究所 初版昭和56、新版平成21)を読了した。こういう「列伝もの」好きだなあ。せっかくなので記念に、伝の立っている禅匠たちを並べておきます。3人以上知ってたら大したもんですわ賞ですわ。

越渓守謙(えっけい・しゅけん) 文化六(1809)〜明治十六(1883)、若狭の人。

潭海玄昌(たんかい・げんしょう) 文化八(1811)〜明治三十一(1898)、岐阜の人。

洪川宗温(こうせん・そうおん) 文化十三(1816)〜明治二十五(1892)、攝津の人。その著「禅海一瀾」が岩波文庫さまに入っているので、俗姓を用いて「今北洪川」と表記すると御インテリのみなさんは御存じかも。

独園承珠(どくおん・じょうしゅ) 文政二(1819)〜明治二十八(1895)、備前の人。

滴水宜牧(てきすい・ぎぼく) 文政五(1822)〜明治三十二(1899)、京都の人。

南隠全愚(なんいん・ぜんぐ) 天保五(1834)〜明治三十七(1904)、岐阜の人。

山岡鉄舟(やまおか・てっしゅう) 天保七(1835)〜明治二十一(1888)、江戸の人。居士。無刀流創案者、谷中全生庵創建。 

禾山玄皷(かさん・げんく) 天保八(1837)〜大正六(1917)、愛媛の人。

ケ州全忠(とうじゅう・ぜんちゅう) 天保十(1839)〜大正十四(1925)、肥前・佐賀の人。「南天棒」の号で名高い。

毒湛匝三(どくたん・そうさん) 天保十一(1840)〜大正五(1916)、岐阜の人。

龍淵元碩(りょうえん・げんせき) 天保十三(1842)〜大正七(1918)、丹波の人。

黙雷宗淵(もくらい・そうえん) 安政元(1854)〜昭和五(1930)、壱岐の人。

洞宗令聡(とうじゅう・れいそう) 安政元(1854)〜大正五(1916)、尾張の人。

洪嶽宗演(こうがく・そうえん) 安政六(1859)〜大正六(1917)、若狭の人。慶應義塾に属し、次いでセイロンに留学。鈴木大拙の師である。

独山玄義(どくざん・げんぎ) 明治三(1870)〜昭和十三(1938)、新潟の人。

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山岡鉄舟居士を含め五人ぐらいは覚えておきたいですね。

ところで私事ですが、思い出すに昨日はちょうどお昼ごろからウツ→軽躁状態に入り、会社のあちこちでデカいことを言って歩いていた。覚えているのである。躁状態で「やってられない」みたいなこと言うて早退してしまった。ウツが長かったこと、春になってきたこと、昨日の午前までのツラさ、などが相乗して、昨年以来最大の躁状態になってしまったようだ。ウツの一番おそろしいことである。今回の躁がウツになるときに、この躁状態のときの反省→自己嫌悪みたいなのが相乗してすごいのになるんです。しかも完ウツ状態と違って、まだ「行動力」が残っている。自○の一番危険な時間帯なのである。

 

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