平成25年2月1日(金)  目次へ  前回に戻る

 

またまたアタマが痛いんですわ。これは去年の夏悪さしてほぼわしと一体化したウイルスが、ヤギの力でまたまた活性化して悪さしているのだ。と分析した。けど違うカモ。

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裴旻(はいびん)は唐の盛んなるころの人。武官として龍華軍使に至り、北平の守備に当たった。

裴旻の名を高からしめたのは、まずはその特技たる剣舞の技である。

文宗時詔以白歌詩、裴旻剣舞、張旭草書為三絶。

文宗の時、詔して白の歌詩、裴旻の剣舞、張旭の草書を以て三絶と為す。

文宗皇帝(在位826〜839)のとき、皇帝のみことのりにより、李白の詩、裴旻の剣舞、張旭の草書を余人の真似のできない「三つの絶技」であると認定された。

というすごい人だったのである。ニンゲン国宝、あるいは生ける世界遺産ともいうべき存在だったわけです。

当時幽州都督(今の北京あたりを所管した総督)・孫佺が北の方、後の満州方面に奚族を討伐したとき、

為奚所囲。

奚の囲むところと為る。

軍を分断され、本陣が奚族に包囲される絶体絶命の状況に陥ってしまった。

このときまだ一士官に過ぎなかった裴旻は

「大唐の武人の技を見よ」

と言うて奚族(彼らは軽騎兵を操る)の陣列の前に進み出、突然、

舞刀馬上。矢四集皆迎刀而断。奚大驚引去。

馬上に舞刀す。矢四集するにみな迎刀して断つ。奚、大いに驚きて引き去れり。

馬の上に乗って、剣舞をはじめたのであった。

奚族は「ヤッテシマエ!」と四方から矢を射かけたが、裴旻は剣舞しつつ、雨と降る矢をその刀で次々と叩き落としたのだった。

これには奚族も大いに驚き、「コレハカナワン」と撤退してしまった。

ために唐軍は殲滅の憂き目を免れたのであった。(以上、「新唐書」巻202「李白伝後段」

ところで、そのすごい人が次のような不思議な体験をしているのだそうです。・・・・・・・・・・・・・・・・

―――が、頭痛いし、明日も↓のような用事があるの思い出したので、残念ながら今日はここまで。もしわたしに何かあって明日続きを御紹介できなくなってしまい、かつ続きに興味があったら、「新唐書」や「南部新書」買ってきて読んでください。・・・そんなことまでして読む愚物なんかわしぐらいかな?むひひ (*^_^*)・・・。

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お。今日から2月ではありませんか。いよいよキャンプ開始、観タマも再開だ!と思ったが、明日は表、すなわちニセのしごとが入ってしまった。・・・うつになれ、うつになれ、とまわりが勧めているのかも知れぬな。

 

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