平成24年12月4日(火)  目次へ  前回に戻る

 

しごとが行き詰まってきて・・・。

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18世紀の前半(雍正三年(1725)の序文あり)に末吉親方(当時)・蔡温らが編した「中山世譜」(蔡温のおやじ蔡鐸らが編んだ「康熙中山世譜」と区別するため特に「蔡温版」と呼ばれる)によります(同書・首巻)と、

蓋我国開闢之初、海浪氾濫、不足居処。時有一男一女生于大荒際。男名志仁礼久、女名阿摩弥姑。運土石、植草木、用防海浪、而嶽森始矣。

けだし、我が国開闢の初め、海浪氾濫して居処足らず。時に一男一女の大荒の際の生ずるあり。男は志仁礼久と名づけ、女は阿摩弥姑と名づく。土石を運び草木を植え、用って海浪を防ぎ、而して嶽森始まれり。

さてさて、我が沖縄国の開かれ創られたるそのはじめのときは、海の波浪が荒れ寄せて住まうべき地面が足らなかった。そのころ、たまたま世界の涯におとこの子とおんなの子が生まれた。おとこの子の名を「しにれく」といい、女の子の名を「あまみこ」という。彼らは土くれ石ころを運び、草木を植えて、海の波浪を締め出し、そこに大地を作った。これが山や森という人の住む場所(そのまま「うたき」「むい」という聖なる場所でもある)の始まりでございます。

やがてそこにニンゲンとドウブツたちが繁殖した。そのころは、みんな穴に眠り原野に暮らし、ニンゲンとドウブツは仲良しで、傷つけあうことも無かった。

それから

歴年既久、人民機智、物始爲敵。於時復有一人、首出分群類、定民居者、叫称天帝子。

歴年すでに久しく、人民機智にして物始めて敵と為る。時にまた一人、群類に出分し、民居を定むる者あり、叫(よ)んで「天帝子」と称す。

長い長い月日が流れ、人民どもは知恵を働かせ、ずるいことをするようになった。そうなると、ついにドウブツたちとも相争うようになったのである。

このころになって、人民どもの中でとびっきりに優れ、人民どもの群れを指導する者があらわれた。ひとびとは、彼を「天帝の子」と呼んだ。

天帝の子には三男と二女があり、長男が国王の始祖であり、次男が地方支配者である按司(あじ)の始祖であり、三男が百姓の先祖となった。また、

長女為君君之始。注:君者婦女掌神職者之称也。・・・・。次女為祝祝之始。注:祝者亦掌神職之称也。祝祝者、諸郡諸村各有婦女掌神職者。

長女は君君(きみぎみ)の初め爲り。(注:君なる者は婦女の神を掌る職者の称なり。・・・・。)次女は祝祝(のろのろ)の始め爲り。(注:祝なる者はまた神を掌る職の称なり。祝祝なる者は、諸郡・諸村におのおの婦女の神を掌る職者あるなり。)

上のむすめは最初の「きみ・ぎみ」となった。(「きみ」というのは神のことをつかさどることを職とする女のことである。云々)

下のむすめは最初の「のろ・のろ」となった。(「のろ」というのも、神のことをつかさどることを職とする女のことである。「のろ・のろ」というのは、郡や村ごとに居て、それぞれの地の神のことをつかさどることを職とする女たちのことである。)

こうやってニンゲン世界に秩序が作られたのでございます・・・・・・・・・・。

と書いてあります。

「世譜」のもとになったとされるのが、これより七十数年前に羽地按司・向象賢らによって編まれた「番字世鑑」、すなわち「中山世鑑」でございます。ちなみに「番字」というのは「和漢混淆文字」つまり「和文」のことでございます。これに対して漢文で書かれた「世譜」は「漢字世譜」とも呼ばれます。こちらはチャイナに持っていくために編んだので、その本の中で「和文」のことを「番字」と言ってるのですから、これはしようがない。「したたかな振舞い」である。

この「中山世鑑」を閲しますと、同じ「琉球開闢之事」が次のように記してある。(カタカナをひらがなにし、適当に句読点・濁点・送り仮名を宛てた)

曩昔天城に、阿摩美久(あまみく(あまみこ))と云神御座しけり。天帝、是を召され宣まいけるは

「此下に神の可住(すむべき)美処(よきところ)有り、去(さ)れども未だ島と不成(ならざる)事のくやしけれ。爾、降りて島を可作(つくるべし)」

とぞ下知し給いける。

阿摩美久、畏まり降りて見るに、美地(よきち)とは見えけれども東海の浪は西海に打越し、西海の浪は東海に打越して未だ島とぞ不成(ならざり)けり。

去る程に阿摩美久、天へ上り、土石草木を給はれば島を作りて奉らん、とぞ奏しけれ。

天帝は「それもそうじゃ」とお考えなされ、あまみくに土・石・草・木を賜った。

あまみくはこれらを持ち降り、嶋の数々を作ったのである。その順番は

@   國上(国頭)の辺土の安須森(あすのむい)

A   今鬼神(いまきぢん=なきじん)の「かなひやぶ」

B   知念森、斎場嶽(さやはたけ=せいふぁうたき)、藪薩(やぶさつ)の浦原

C   玉城(たまぐすく)のアマツツ

D   久高の「こばう森」

E   首里森、奥玉森

F   島々、国々の嶽嶽・森森

である。

これらを作って数万年を経たが、ニンゲンもいないので神の威厳も発揮できない。そこで、あまみくはまた天に上り、「人種子」(ひとだね)を乞うた。

天帝曰く、

「爾が知りたる如く、天中に神多けれども可下(くだすべき)神無し。さればとて黙止(もだ)すべきに非ず」

とて天帝の御子男女を下し給う。

この二人、陰陽の和合のしかたは知らないのだが、隣同士に暮らしていたので、自然と行き来する風によって女神の方が孕みまして、ついに三男二女をぞ生み給う。

この三男二女は・・・(以下、「中山世譜」の★〜★に同じ)

と書いてありました。

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一見して、

「中山世譜」は男女神が世界を創造していることになり、女性の方がすぐれているという正しい考え方から見れば後れているとはいえ、まだしも男女共同参画にはしている。一方、「中山世鑑」では「志仁礼久」(しにれく)がどこかに消え、「阿摩弥姑」の方が「阿摩美久」と名前を変えてしまっており、「弥姑」→「美久」と男性化してしまっているように見える。とすると、「中山世鑑」では男性原理だけで世界を創造しているように記述されており、女性がすぐれているという現代の正しい考え方からみて、たいへんレベルが低い

「中山世譜」では「天帝子」はニンゲンたちがだいぶん殖えて、知恵もついてから現れており、人民たちの中から選ばれて「天帝子」と呼ばれたように書かれているが、「中山世鑑」の方では天帝の子は、ほんとうに天帝の子で、天から下された男女一対で、しかもこいつらは性交さえ知らなかった、ということになる。天上に生まれていながら、現代の北欧のようなすぐれた性教育を受けていない。

以上のことから、

「中山世譜」の方が女性の方がすぐれているという正しい考えに基づく現代の目から見れば、すぐれた著作である。

ことが明らかとなります。

あくまでフェ○ニズム的観点からみれば、のことですが。

(付録)

肝冷斎的には「天帝」というのはもちろん「宇宙生命体」と翻訳すべきである、と考えます。そうすると、「中山世譜」は人類が完成形でおそらく記憶を注入された上で地球上に降ろされた、という人類宇宙飛来説(この場合、天帝はシリウス星人、アマミコ・シレニクはロボの一種であろう)を採用しており、「中山世鑑」は、「人種子」(ひとだね)という言葉から見て、「人類は宇宙人により植えつけられたスターシードから生まれたのだ」というスターシーカー仮説に立っている、ということが明らかである。いずれにせよ沖縄開闢説話は宇宙人トンデモ学説だったのだ!うひゃうひゃうぇdrytふじこpl@;

 

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