平成24年10月10日(水)  目次へ  前回に戻る

 

今日は「体育の日」なのでぶうすか寝ておりましたら、会社から電話がかかってきて「早く出て来い!」と怒鳴るのです。

「ち、しかたねーな」

と舌打ちし、倉庫から鈍行斎を出して会社へ行かせました。鈍行斎はおどおどと行った。その後帰ってきません。明日は鈍能斎に行かせるか。

それにしても「体育の日」が無くなってしまうとは、不思議なことである。

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わしがこの目で見た不思議なことのその二。(←「その一」こちら

豐州の軍山は峻嶮にして天に寄り添うがごとくに聳えたっております。ひとびとはその険しきを仰いで「江南絶頂」と称するほどだ。

この頂上に石室があって、そこに

浮丘王郭三真君

が祀られている。

三真君の由来は詳しくは知られないが、三人の仙人であるという。この石室まで登り来たって三仙人の祠を拝した者は、

帰焉時、見雲霧滃欝中有光如日暈大如車輪。郷人称曰円光。

帰らんとするの時、雲霧の滃欝たる中に光有りて日の暈の如く、大いさ車輪の如きなるを見る。郷人称して曰く「円光」と。

帰ろうとして下山する途中に、雲霧のもくもくと湧く中に、太陽のまわりにかかるカサのような丸い光りのたま――車輪ほどの大きさの――を見ることがあるという。地元の人たちはこれを「まるいお光さま」と呼んでいる。

わし自身がこの山に登るまでは

「そんなものがあるはずがあろうか」

と思い込んでいた。

ある年、わしは地元の人の案内で軍山に登った。まだ未明のうちに麓の宿坊を出、夜明けごろ三仙人の祠を拝して、下山する。

その途中、たいへん濃い霧のせいで、目の前の案内人の背中や、険路を踏みしめている自分の足先さえ見失いそうになっているとき、前を歩いていた案内人が立ち止まり、

「あれを御覧なさい」

と虚空を指さしたのであった。

「!」

そこにはまるく、白い光が霧の中、向こうの嶺のあたりに浮かんでいた。

光中見三僊冠服貌像隠隠可弁。

光中に、三僊の冠服貌像の隠隠として弁ずべきを見る。

その光球中には、三人の仙人の姿(であろうか)が見えた。三人の冠・衣服、容貌、姿かたちはぼんやりとしているものの、何とか見分けがつく(ような気がした)。

光球は、

飛行翕忽、或昇或沈、頃刻不見。

飛行翕忽(きゅうこつ)としてあるいは昇りあるいは沈み、頃刻にして見えずなりぬ。

ふわふわと浮かんでいたかと思うと突然素早く動き、時に上昇し時に下降していたが、やがて見えなくなってしまった。

・・・・・・・・・・・ふと、案内の人に

「あれが円光でございます」

と教えられて我に戻ったときには、もう霧が流れ、晴れ間から日が射しこみはじめていたのだった。

此不可解者二也。

これ、不可解なるものの二なり。

これが二番目の、わしがこの目で見た不思議なことじゃ。

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元・劉壎「隠居通議」巻三十より。

劉隠居はまだ話し足りないようですが、ふつうの人はもう寝る時間なので、今日はここまで。おもてのしごと辛いし。

 

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