平成24年10月3日(水)  目次へ  前回に戻る

 

自己嫌悪が強くなってまいりました。南国にも秋が来たのです。季節の変わり目はやはりダメだ。

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自分に疲れて、今日は酒場に行ってみたぜ。(童子なのでちゅが)

酒場では子夜ねえちゃんが唄っていた。

陌頭楊柳枝、  陌頭(はくとう)の楊柳の枝、

已被春風吹。  すでに春風に吹かれたり。

妾心正断絶、  妾が心、正に断絶せん、

君懐那得知。  君が懐(おも)いなんぞ知るを得ん。

 道のほとりのやなぎの枝は

 もう春風に誘ってもらっているのにさ。

 あたしの心はほら今ちょうど消え入ってしまうところよ、

 あんたの気持ちがわからないから。

おいらの気持ちももう消え入ってしまいそうだぜ・・・。

「肝冷斎、コドモのくせに何でこんな酒場にまで来てるのよー」

と子夜ねえちゃんに見つかりました。

「いや、その、メシでも食いにと思いまちて〜。かぎっ子なので〜」

「そうか、肝冷斎も苦労してるんだねー」

「ちょ、ちょうなんでちゅ(別に苦労してないけど・・・)」

「そっかー、よし、ナデナデしてあげるからがんばるんだよ」

ねえちゃんはあたま撫で撫でしてくれまちた。うう。柔らかいお手々でやさしくされて、おいら涙がなぜかあふれた。

おいらずいぶん疲れているんだろうな。

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「子夜春歌」(子夜の春の季節の唄)「唐詩選」所収)。作者の郭震は河北・大名の人、字は元振といい、生来任侠を好む。唐・高宗の咸亨四年(673)にいまだ十八歳にして進士に及第、その後、則天朝から中宗時代にかけて、大将軍、吏部尚書(人事庁長官)にまで進んだ典型的な「出入将相」(辺境では将軍、都に戻れば大臣になる)の名臣であったが、玄宗皇帝が即位すると合わず、開元元年(713)広東に遷され、さらに江西に戻されたが、その赴任の途中に卒した。

ところでこの詩、「唐詩選」中でおそらく第一番に六朝以前からの歌謡曲である「楽府」のフンイキを濃厚に漂わせているので、我が朝・江戸期の詩人たちに特段に気に入られ、美しい訳が行われているので有名である。高木正一先生が「唐詩選」(朝日文庫版)で紹介している邦訳を引用しますと、

●道のほとりの青柳を、あれ春風の吹き渡る。

わしの心の遣る瀬のなさを、思ふあたりに知らせたや。  (服部南郭訳)

●町のほとりの柳さへ、あれ春風が吹くわいな。

わしが心の遣る瀬なさ、思ふとのごに知らせたい。  (柳沢淇園訳) 

よく似てますけど、少しだけフンイキ違いますね。おいらはより砕けてしまって、三味線の伴奏無しでは聞けそうにもない淇園の訳がええな。

 

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