平成24年8月11日(土)  目次へ  前回に戻る

 

あさ時間をかけてゆっくりおきると頭痛大丈夫みたいですよ。

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(また昨日からの続きです)張某からの手紙を見て、岑参は少し心配になったことがあって、こう言いやった。

海暗三山雨、   海は暗し 三山の雨、

花開五嶺春。   花は開く 五嶺の春。

此郷多宝玉、   この郷に宝玉多し、

慎勿厭清貧。   慎んで清貧を厭うなかれ。

三つの山のあるあたりは、強い雨が降るというから、それらが降れば海も暗いほどになるだろう。

五つの嶺の峠のあたりは、美しい花が多いと聞くから、春になれば色とりどりに咲き誇ることであろう。

きみよ、その地には宝玉が多いとはいにしえより聞くところだ、

不義の豊かさよりは貧しさの中にこそ喜びがあることを忘れずにいてくれ。

三山」「五嶺」とは、南海には番山・禺山・堯山という三つの高山があるといい、また長江流域から広州に出るには大庾嶺、臨賀嶺、始安嶺、桂陽嶺、掲陽嶺の五つのみねを越えねばならないから、そのことを言うたのである。

そして、最後に後漢伏波将軍・馬援のことを引いた。

・・・・・・・馬援は多くの武勲をあげた不世出の名将である。彼は交趾(今のベトナム北部)を征服したあと、荷物をいっぱいに積んだ車を一台引いて帰ってきた。

けだし、

常餌薏苡実用能軽身省欲以勝瘴気。

常に薏苡(いい)の実を餌し、用ってよく身を軽くし欲を省し、以て瘴気に勝つ。

いつも薏苡(ハトムギのことである)の実を服用して、体の動きをよくし、性欲を抑えて、暑熱の気候を克服した。

ハトムギの効能が軍事にも活用できることに気づいた彼は、

南方薏苡実大。

南方の薏苡の実大なり。

南方のハトムギの実はでかかった。

ことから、これを種にして黄河流域で栽培できないものかと考えて、ハトムギの種を一車分(「薏苡一車」)運んできたのである。

時に都のひとたちはそのことを知らぬから、ひそひそとまことめいて噂した。

以為南土珍怪、権貴皆望之。

以て南土の珍怪なりとし、権貴みなこれを望めり。

(伏波将軍が持ち帰ったのは)「あれは南方の地の珍しく妖しい特別な宝物だろう」と。そして、上層階級の者たちはみな、伏波将軍はうまくやったものだ、と羨望のまなざしで見つめたのだった。・・・・・・・・(「後漢書」巻54「馬援伝」による)

―――おまえも、「役得でずいぶんよい目を見たらしい、赴任する前はいつも何か落ちてないかと俯いていたおとこが、帰任したら腹を突きだして歩くようになったわい」などと噂されれくれるなよ。

と忠告したのである。

岑参からの返事を受け取った南海尉の張某、どんな顏をしてその書面を読んだのか、今に伝わらない。けれど、今に遺された岑参の詩集「岑嘉州集」を閲するに、それから後に岑参が張某との交遊を一度も録していないことが知れる。案外と彼の心配は的中し、張某は清貧であることを止めて、長安の詩友たちとたもとを分かってしまったのかも知れぬ。

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以上、三日分の五言句をつなげますと、

不択南州尉、   南州の尉を択ばざるは、

高堂有老親。   高堂に老親あればなり。 (以上、8月9日)

楼台重蜃気、   楼台 蜃気を重ね、

邑里雑鮫人。   邑里に鮫人を雑う。    (以上、8月10日)

海暗三山雨、   海は暗し三山の雨、

花開五嶺春。   花は開く五嶺の春。

此郷多宝玉、   この郷に宝玉を多し、

慎勿厭清貧。   慎んで清貧を厭うなかれ。 (以上、本日)

の五言律詩となりまして、これは「唐詩選」岑参「張子の南海に尉たるを送る」として収められているところ。

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ところで、「後漢書」によれば、上記の伏波将軍・馬援の話には後日談があります。

洛陽の上層階級のひとたちは馬援が赴任先から珍しい宝物を車いっぱいに運んできたと思っていたわけですが、当時、彼らはそのことを羨むばかりで誰も将軍を謗らなかった。馬援が大いなる功績を挙げた名将であり、時の皇帝のお気に入りでもあったことをみんな知っていたからである。

ところが、

及卒後有上書譛之者、以為前所載還皆明珠文犀。

卒するの後に及んで、上書してこれを譛(そし)る者あり、以て前の載するところは、またみな明珠・文犀なりと為す。

その死後になって、書面を以て朝廷に馬援の行為をそしった者が出た。その中で、さきに車に載せて運ばれてきたものは、実はすべて、きらきらと光る真珠と模様のついた一角獣の角だったのだ、というたのである。

これに有力者数人が乗っかって馬援の蓄財は不正であると上奏した。

馬援の遺族らはそれが「ハトムギ」であったことを力説したが、有力者たちは

「そもそも宝玉のゆたかな地に赴任して、ハトムギごときばかりを持ち帰る者がおりましょうか」

と論じ、遺族らの論は虚言で、持ち帰った宝物を隠匿しているのだ、と主張した。

帝、大いに怒り、馬氏の財を没収するとともに、妻子を遠流に処したという。もちろん、没収した財産の中に、明珠や文犀は見当たらなかったが、それはもう過ぎたことだ。(→どこかで聞いた話だなあ・・・と思ったら、大量破壊兵器を破毀しない、と言ってイラクに攻め込んで、占領したけど出てこなかった、けど元大統領は死刑! というあれか・・・気分悪い)

 

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