平成24年7月12日(木)  目次へ  前回に戻る

 

本日は大弾圧を受け、やっと今帰ってまいりました。むしむしするし、もう疲れた。明日はずる休みだ。

・・・・・・・・・・・・・・

・・・とぶうたれながら帰ってきましたら、近所の隠者のじじいに出会った。

じじい言う、

在昔曾遠遊、  在昔、かつて遠遊し、

直至東海隅。  直ちに東海の隅に至る。

道路迥且長、  道路は迥(はる)かにして且つ長く、

風波阻中塗。  風波、中塗に阻めり。

むかし、わしは遠いところまで旅に出て、

ずうっとかなたの東の海のほとりまで行ったものじゃ。

道のりは遥か、長い長い旅であった。

途中で何度も風雨や高波のために行く手を遮られた。

此行誰使然。  この行、誰か然らしめんや。

似為飢所駆。  飢えの駆るところと為るに似たり。

 その旅は誰かに命ぜられて行ったものではなかった。

 ただ、生活のために追われるように出かけたのであった。

これは実は役人となって給与をもらうために赴任していたのである。

傾身営一飽、  身を傾けて一飽を営まば、

少許便有余。  少許にしてすなわち余り有らん。

 そのまま一生懸命、腹いっぱい食べるために活動していたら、

 しばらくのうちに余裕もできたかも知れぬ。

しかし、

恐此非名計、  これ名計にあらざるを恐れ、

息駕帰閑居。  駕を息(や)めて閑居に帰りぬ。

 これはどうもよい生き方ではない、と気づいて、

 駕籠から降りて、こののどかな家に帰ってきたのである。

「駕を息(や)む」は「駕籠に乗るような(官僚としての)生活を辞める」ということである。

「じじい、それで今の暮らしはよい暮らしなのか」

わしはじじいの身なりのきたないのを見てとって年金など安いのであろうと居丈高に訊ねたが、じじい、傲然と威張りくさって

死去何所知、  死し去れば何の知るところぞ、

称心固為好。  心に称(かな)えるぞ、もとより好(よ)しと為す。

 死んでしまえば何ごともわからなくなるのだから、

 生きている間に心充ちたりる暮らしをすることこそ、望ましいことではござらぬか。

と言いながら、一升パック酒を片手に陋屋に帰って行った。その表札を見るに、―――おお、この御老人こそ、陶淵明であった。

わかった。わかりました。わたしも「ずる休み」などと言わずに、いよいよ駕籠から降りることにいたします。

・・・・・・・・・・・・・

陶淵明「飲酒」詩(第十及び第十一より構成)。

豪族の出である陶淵明は「帰去来兮」(帰らせてもらいまっせ)と言うて田園の家に帰ってから、@自作農となった、A在地地主として農産を指導した、の二説があり、最近はどうやら@の方が有力らしいので、長いことAだと思って反発していた(陶淵明自身にではなく、彼を尊崇する人たちに対して反発していたのである)わたくしも、「もしかしたらおれたちの側のひと?」と思い始めて、彼の詩文もときおり読んでいる。

さあ、明日こそいよいよ当局側と対決だ!

 

表紙へ  次へ