平成24年6月20日(水)  目次へ  前回に戻る

 

疲れてまいりました。週の後半ですからね。

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唐朝のころ、宰相の位にある者だけが使える「宰相堂」と呼ばれる建物がありましたそうな。

昔の政府は朝が早かった。「朝廷」といわれるゆえんですが、夜明とともに皇帝の前に百官が並び、枢要なる政務について皇帝の判断が下され、それから百官は解散してそれぞれの職場に向かい、その日の業務を行う。たいてい午後にはしごとを終え退庁するならわしであった。

そのうち宰相の重職にある者は、早朝から帝の傍に侍ってともに政務を執った後、午前中は皇帝の諮問に備えて「宰相堂」にあり、ここで昼餉をしたためてから帰宅したものであるという。

この昼餉を「宰相堂飯」といい、常人は食らうべからざるものと言われていた。

唐の末のころ、鄭延昌というひとが宰相の位にあったとき、この堂で昼めしを食っているところへ、その弟・延済がやってきて、政情の分析などを語りあった。

そのうち、延済の腹が「きゅう」と鳴った。

「腹が減っておるのか」

延昌は食器を一揃え持ってこさせ、

遂与之同食。

ついにこれと同食す。

つい、弟と昼飯を分け合って食べることにした。

「では御相伴つかまつる」

と延済が

手秉餺飥、食及数口。

手に餺飥(はくたく)を秉(と)りて、食らうこと数口に及ぶ。

手に「はくたく」の入った椀を取り、ほんの数口食った。

「はくたく」は要するにワンタンだと思ってください。

ワンタンを数口食ったところで、延済は

「う・・・う」

と唸り、虚空を見上げると、

椀自手中墜地。

椀、手中より地に墜つ。

ワンタンの入った椀を手からぽろりと落とした。

そして、兄の目の前で倒れたのである。

兄はすぐに人を呼んで介抱せしめたが、そのまま起き上がることができず、

一夕而卒。

一夕にして卒す。

一晩過ぎた翌日に死んだのだ。

身に過ぎたものを不用意に口にしてはいけないのじゃ。

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五代・尉遅偓「中朝故事」より。毒殺? 宰相を殺すはずが弟が食ってしまった? いや、それは考えすぎです。兄の鄭延昌自体が黄巣の乱の際に兵站を担当して注目され、やがて中書門下平章事、すなわち宰相の位に昇ったものの、この後、結局「何の功績もない」という理由で罷免されたという人なので、わざわざ毒殺をしようという勢力があったわけがございませんぞ。

権力を目指すみなさん、いろいろもめておられるようですが、いずれにしろおのれの身の丈を過ぎたところまで昇ってしまわないように、気をつけてくださいネ。

 

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