平成24年5月14日(月)  目次へ  前回に戻る

 

昨日からずいぶん時が経ったように思うが、まだ月曜日かあ

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若いころのことである。

わしがあまり働かないという人がいるので、

「わたしはいけないのですかなあ」

安楽窩主人にお訊ねすると、先生はおっしゃる。

おまえさんも、わし同様に

毎恨性昏聞道晩、  つねに恨む 性昏く道を聞くこと晩(おそ)きを。

長慚智短適時難。  長く慚(は)ず 智短く時に適すること難き

つねづね恨めしいことには、あたまがすっきりしていないせいで、「道」について聞くことができたのが年長けてからであった。

ずうっと後悔していることには、先を見通すことができないせいで、時流に乗るのがなかなかできない性格である。

なのじゃなあ。

されば、

人生三万六千日、  人生三万六千日、

二万日来身却閑。  二万日来、身却って閑なり。

 ひとの人生を百年とすると、三万六千日だが、

 そのうち二万日(50〜60年)にわたって、わしは束縛も無くのどかな日々を送っているわけである。

ということになってしまうのう」

「なるほど。無能の方がよい人生になるのですな」

それから先生はさらに吟じて曰く、

名利場中難著脚、  名利場中には脚を著(つ)難ければ、

林泉路上早回頭。  林泉路上に早く回頭せよ。

 名声だ、利益だ、という争う舞台の上では、足をつけて立ち続けているのは難しかろう。

 山林や河や泉に向かう道の方に速やかに振り返らねばならない。

不然半百残躯体、  しからざれば半百残躯の体、

正被風波汨未休。  まさに風波に汨(しず)みていまだ休(や)まず。

 そうでなければ百の半分、すなわち五十歳にもなって残骸となったこの身は、

 ほんとうに風にもまれ波に呑まれ、翻弄されるままで終わることがない。

「このこと、よく心に記しおけよ、肝冷斎」

「ははー」

わたしは伏して教えを心に刻みつけたものである。

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今やようやくわたしも半百の歳を迎えた。あのころから随分時が経ったように思うが、まだこの世の安芝居の小屋で舞台と楽屋裏をうろうろしている。しかし、いよいよ林泉路上に回頭するの時が来たのである。(この間、名前も「黒田肝兵衛」に変わりましたが)

ちなみに、安楽窩主人とは北宋の奇儒、康節先生・邵雍のことです。洛陽城中に隠棲し、司馬穏公、程明道・程伊川兄弟など、当時の錚々たる知識人たちに敬愛された偉大な自然哲学者である(←もうちょっと脂っこいかな)。現代でも大陸・台湾・香港に彼のファンは多いし、わしの講義でもよく出る名前じゃから内弟子諸君はよく知っておろうが

先生の詩集「伊川撃壌集」巻五「自況」(自分の状況について)より。

 

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