平成24年1月12日(木)  目次へ  前回に戻る

 

寒いでちゅね。こんなに寒いと布団の中に縮こまっているうちに、退化してコドモになってちまいまちゅ。そこで、今日は子ども御伽衆なの。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

寒い日は、温暖な南国のことでも語りまちょうね。

桂山之奇、宜為天下第一。士大夫落南者少、往往不知、而聞者亦不能信。

桂山の奇、よろしく天下第一たるべし。士大夫の落南者少なく、往々にして知らず、而して聞者また信ずるあたわざるなり。

桂州の山水はすばらしい。天下で一番、というてよろしい。ところが、文章の書けるやつで、こんな南の僻地まで流れてくるやつはあんまりいない。そして、(わしはいろんなところで桂州はすばらしいと言うているが、)人から聞いても、なかなか信じてくれないのである。

と十二世紀に桂州のすばらしさを説いた石湖先生・范成大(昨日出てきた陸放翁先生のおともだちでちゅ)の「桂海虞衡志」によりますと、

奥山や荒野には、変な草やおかしな木がたくさん生えている。しかし、ひとびとは(それが当たり前だとして)見向きもしない。だから、どの木が何と言う木でどの草が何と言う草か、というのはわたしにもよくわからない。ただ、竹の類だけはその異常なのがはっきりしているものが多く、その名前を記録することができた。

のだそうでございまちゅよ。

まず目についたのが、「榕」(がじゅまる)の樹であった。

易生之木、又易高大。可覆数畝者甚多。根出半身、附幹而下以入土。

易生の木にして、また高大なり易し。数畝を覆うべきもの甚だ多し。根は半身に出で、幹に附して下りて以て土に入る。

実に生えやすい木で、しかも大きくなりやすい。数アールを覆うほどの大きさのものがたくさんある。この木は、木の半ばあたりから根が出ており、幹に付着して下に下り、土中に入っている。

この形を見て、

有榕木倒生之語。

榕木倒(さかし)まに生うの語あり。

がじゅまるの木は、上下さかしまに生えてきたのだ。だから、本来なら枝になる部分が根になって、地中に入り込んでいるのだ、というひとがいるのである。

竹には「人面竹」あり。

節密而凸、宛如人面。人采為拄杖。

節密にして凸、あたかも人面の如し。人采りて拄杖と為す。

節が密にあり、膨らんでいて、まるでひとの顔のように見えるのである。南方のひとはこれを杖にして突いておる。

なお、「草子」という言葉があるが、これは草木とは何の関係も無いそうでっちゅ。

即寒熱時疫。

即ち寒熱の時疫なり。

すなわち、熱を出したり寒さに震えたりするはやりやまいのことである。

南中吏卒小民不問病源、但頭痛体不佳、便謂之草子。

南中の吏卒小民、病源を問わず、ただ頭痛して体不佳なるとき、すなわちこれを「草子」という。

南国の下役人や雑色、人民どもは、どんな原因であるかを問わず、頭が痛くて体調がよろしくない、というときには、いつもこれを「おらはソウシですだ」というのである。

ソウシのときには、薬よりも何よりも先に、彼らは

使人以小錐、刺唇及舌尖出血、謂之挑草子。

ひとをして小錐を以て、唇及び舌尖を刺して出血させしめ、これを「挑草子」という。

誰かに小さなキリで、自分のくちびるや舌先を刺してもらい、血をどろどろと流すのである。これを彼らは「ソウシへの挑戦」と言っている。

しかし、

実無加損於病。

実に病において加損すること無し。

実際のところは、こんなことをしても、病を治すわけでも亢進させるわけでもない。

そのことは彼ら自身もよく知っているようで、この「ソウシへの挑戦」を行ったあと、

必服薬乃癒。

必ず服薬してすなわち癒ゆ。

必ずくすりを飲んで、治すのである。

子どもみたい。おかしなひとたちでちゅねー。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

少しは暖かくなりまちたか。

おいらはどうも「草子」ぽいので明日は休もうかなー。

 

表紙へ  次へ