平成24年1月2日(月)  目次へ  前回に戻る

 

去年今年貫く棒の如きもの  高浜虚子

と申します。去年と今年は貫かれているのです。ということで、昨年最後の更新の続き。

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福建の林遠峰が、突然、

「天后聖母さま、というのは、

余二十八世姑祖母也。

余が二十八世姑母なり。

わたしの二十八代前の祖先の姉妹なんですわ。」

と言い出した。確かに天妃娘娘は北宋時代の林霊素という道士の娘だったという説がありますので、林氏の一族だというのもその説に則っているのであろう。

「我が家の言い伝えでは、このひとは、まだ許嫁もいないうちに仙女になってしまわれたのですよ・・・」

そして、続けて福建の風俗を教えてくれた。

今(清の時代)、福建の船という船には、天妃娘娘の方の画が三枚づつ載せられている。一枚は旗を手にしており、一枚はふつうの服を着ており、一枚は髪を振り乱し裸足の画像である。

福建の船乗りたちは航海中に危急のことがあると、旗を手にした画像を焼く。すると、たちどころに危機を脱け出すことができる。それでもダメなときはふつうの服の画を焼く。これで効き目が無いということはない。それでも効かないときは、最後の裸足の画像を燃やす。そうして救われなかった者はいない・・・もし沈んだ船があれば、それは三枚目を焼く前に沈んでしまったのであろう。

また、風強く波高く天も海も暗く、船がどこに向かっているかもわからないときに、船乗りたちは声を上げて天妃娘娘に救いを求めれば、

輙有紅灯隠現水上、随灯而行、無不獲済。

すなわち紅灯の水上に隠れ現るありて、灯に随いて行けば、済(すく)いを獲ざる無し。

すぐに赤い光りものが水上に消えたり光ったりしはじめるのである。この光りものについていくと、救われなかったということが無いそうだ。

そんなとき、

見后立雲際、揮剣分風、風分南北。

后の雲際に立ち、剣を揮いて風を分くるに、風の南北に分るを見る。

天妃が雲の中に立ち、剣をふるって風を分割しようとしている姿を見ることがある。風はそれにつれて、南北に分割されるのだ。

「・・・ところで、」

と、林はまた続けた。

「わたしの一族のおじさんがまだ幼いときのことですが、郡の軍隊が台湾征伐に出ることになり、練兵場で旗揚げの祭りを行ったことがあったそうなんですわ。

某随父往観、見后端坐纛上。

某、父に随いて往きて観るに、后の纛(トク)上に端坐するを見る。

そのおじさんが親父に連れられて旗揚げ祭りを観に行ったところ、旗の上に天妃が座っているのが見えた。

のだそうです。

急呼父視之、已不見。

急に父を呼びてこれを視るに、すでに見えず。

急いで隣にいた親父に

「とーちゃん、あ、あれ、あすこに!」

と指さしたが、もうそのときには見えなくなっていた

と、よく言ってましたよ」

「へー。でも、12月30日の話だと天妃娘娘って美人なんでしょう?」

と水を向けてみると、林がいうには、

「いや、おじさんの話だと

貌豊而身甚短。

貌豊かにして身は甚だ短し。

でっぷり太っていたが、背丈はとても小さかった、

ということです」

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清・袁随園「子不語」(続集巻一)より。

みなさんも幼いころ、こんなふうな不思議なひと(か否かわからないモノ)をふと、ほんとにふと、目にしたことがあるでしょう。思い出してみてください。

思い出せましたかな。そして、傍にいたのは? あなたの手を引いていてくれたのは、優しいおやじかおふくろではなかったかな?・・・あなたのまわりはまだ黄金色の光に包まれていませんでしたかな?

・・・思い出せたなら、その思い出がわしからのお年玉じゃよ。ふほほほ。

 

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