平成23年12月30日(木)  目次へ  前回に戻る

 

夜空が氷のように澄み切って、オリオンがよく見える。超新星爆発はまだですかなあ。

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乾隆丁巳(1797?)のことである。

翰林供奉・周煌は命を奉じて琉球王の冊立のために海を渡ったのじゃ。

何日か航海したとき、嵐に出くわした。

船は

漂至黒套中、水色正黒、日月晦冥、相伝入黒洋。

漂いて黒套中に至り、水色正黒にして日月晦冥、相伝うに「黒洋に入る」と。

操舵を失って漂ううちに、黒いおおいにすっぽりと覆われてしまったようにまわりが暗くなった。海水の色は真っ黒であり、日も月も見えぬ。船乗りたちは互いに

「黒洋ぞ!」

「黒洋に入ってしまったのじゃ!」

と騒ぎ立てるばかりである。

「黒洋」は東海(東シナ海)中にあって、黒い海水が帯のように流れる海域をいい、そこに入れば

無生還者。

生還者無し。

生きて帰ってきた者はない。

といわれるおそろしい場所である。

周煌ら使臣も、船乗りたちも泣き叫ぶしか手立てはなかった。

と、そのときである。

「あ、あれを見よ」

と船長の指さす方を見るに

忽見水面紅灯万点。

忽ち水面に紅灯万点を見る。

突如として、海面に赤い光が無数に現れ出たのだ。

船乗りたちはその光を見ると、狂うたように喜びはしゃきはじめた。使臣ら、どうしたことかと驚き問うに、

生矣。

生きたり。

「生きのびましたぞ!」

娘娘至矣。

娘娘至れり。

「にゃんにゃんさまが、お見えくださったのじゃ!」

「ほれ、ごらんなされ、あすこ、あすこにすでに!」

と喜びに震えながら喚くばかり。

果たして、前方の黒雲の中に、周たちの目にも見えた。(見えた、ように思う。)

巨大な人らしいものの姿が―――。

有高髻而金環者、甚美麗、指揮空中、随即風住、似有人曳舟而行。

高髻にして金環なる者ありて、甚だ美麗、空中に指揮するに随いて即ち風住(とど)まり、人の舟を曳きて行く有るに似たり。

高い(古風な)マゲに黄金の環をつけた、おそろしく美しいひとである(ように見えた)。そのひとが、空中にあってなにものかに指図すると、風は弱まり、やがて舟は誰かに曳かれるように進み始めたのだ。

声、隆隆然。

声、隆隆然たり。

あたりに「りゅうりゅう」という力強い音が満ち満ちた。

しばらくすると、船のまわりが突然明るくなった。

海は、何ごとも無かったかのように穏やかで青い。黒洋を脱け出したのだ。海鳥たちの舞う姿が目に入る。その向こう、さらに彼方には――ついに琉球の島影が見えた。

―――周は勤めを果たして帰朝した後、皇帝に申し出て、私財を以て「天妃」の廟を建立した。

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清・袁随園「子不語」巻二十四より。

いやー、よかったですねー。危機を乗り切ったのだ。めでたい。これを今年の最後の記事にいたします。我がニホン國も何とか危機を乗り切ったのかな? それとも来年もなお次々と国難至り、2012年中に世界とともに滅亡するのかな?

科学的に申し上げれば、この赤い灯は「セントエルモの火」でございましょうし、「黒洋」は「バミューダ海域」のような謎の四次元への入口か何かなのでしょうね。(まさか黒潮(日本海流)ごときのことではありますまい。)

ちなみに、このお話、実は乾隆丙子(1756)の実話で、張応昌の「清朝詩鐸」という書によれば、礼部尚書・周煌が琉球に冊封に遣わされたところ、

舟至姑米山、臺颶大作、触礁幾沈。皆呼娘媽、須臾一灯、自遠至、遂登北岸。

舟の姑米山(こめいさん)に至るに、臺颶(たいぐ)大いに作(おこ)り、礁に触れてほとんど沈まんとす。みな「娘媽」(にゃんま)を呼ぶに、須臾にして一灯、遠きより至り、遂に北岸に登る。

船は、久米島あたりまで来たところで台風に出くわし、岩に衝突して沈みかけた。けれど、船内のひとがみな、「媽ねえさま」に救けを求めたところ、すぐに光り物が一つ、どこかから飛んできて、船を島の北の海岸に導いてくれた。

という。・・・のですが、これも作り事かも。あるいはマボロシかも。

いろんなことがあって、うつつやら夢やらまぼろしやら分たぬうちに、今年は終わりゆくのですね。おお、よいお年を。

 

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