平成23年12月25日(日)  目次へ  前回に戻る

 

昨日は「天下の要」甲府に行ってほうとう食っておりましたので更新できず。

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昔者、吾父嘗行過甲斐。

昔、吾が父、かつて甲斐を行き過ぎたり

むかし、わしのおやじどのは、甲斐を通過したことがあった。

そのとき、

甲斐民飲食必称館君。

甲斐の民、飲食に必ず館君を称す。

甲斐の人民は、飲み食いするとき、いつも「館君」の素晴らしさを褒めたたえるのに気づいた。

――「館君」とは何ぞや

と問うに、

館君信玄也。

館君は信玄なり。

――「館君」は信玄公のことですよ。

「館君」は「おやかたさま」の漢訳ですね。

ああ、このことによって考えた。

以信玄之悖逆、而能抗強敵数十年而不相下。豈非以其教民有素哉。

信玄の悖逆を以て、しかしてよく強敵に抗すること数十年にして相下らず。あにその民を教うるに素あるを以てあらず

信玄は親を追い出すというひとの道に悖る行為をした。それなのに人民は彼を支持し、今川・上杉・北条・徳川などの強敵とくみし合って数十年も國を保ったのである。

これは、その人民を根本からじっくりと教化した、その効果ではないだろうか。

「素有り」というのは、何かの上に絵を描くときに、「素」(白い色)をよく塗っておくことをいうのであろう。

・・・思うに、この甲府地域では、今も「おやかたさま」信玄公にあやかった、だんごやらまんじゅうやら餅やらを売っているのである。余沢四百数十年に及ぶのである。

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引用書籍を選ぶのにめんどくさくなると持ち出す頼山陽「日本外史」(巻十一)より。

頼山陽のおやじ、ということは頼春水のことである。当たり前ですが。

本日は、学生時代の寮友のみなさんと宴会でした。三十年前の、80年代の、まだ右肩が上がるものだと思っていた日本のころの青春時代の記憶をぐたぐたと語り合ってきたのである。

ああ楽しかった。―――あんまり楽しかったせいで、家に帰ってひとりになると、何と寂しいことか。もうそろそろ○のうかな。

 

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