平成23年12月13日(火)  目次へ  前回に戻る

 

年をとったので、体調一回コワすと、なかなかもう元には戻りませんね。

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唐の終わり、五代の乱世のころと記憶するが、四川あたりに一人、乞食僧がおったのじゃ。

所持する物は何も無く、冬も夏も一枚の僧衣をまとっているだけで、

逐日沿江岸采掇蝦蜆、以充其腹。暮即宿東山白馬廟紙銭中。

江岸に沿うて蝦・蜆を采掇し、以てその腹を充たす。暮るれば即ち東山白馬廟の紙銭中に宿る。

一日中、川べりを移動して、エビやシジミを捕って、これを食うて腹を満たしていた。そして、日が暮れれば、東山の白馬廟に帰り、そのお堂に供えられた紙製の銭(冥界で死者が使えるように、現世の遺族らが送ってやる銭である)の積まれている中で眠る。

民くさは彼のことを「蜆子和尚」(しじみ坊主)と呼んでおった。

ときの名僧・華厳禅師が彼のことを聞き、取り巻きたちに

「ほんものかどうかを確かめたいのう」

と呟いていたが、ある日の夕刻、ふらりとひとり白馬廟に現れた。

禅師はまだ蜆子和尚が帰ってきてないことを確認すると、先に紙銭の中にもぐりこんで眠ってしまったのである。

夜になって、蜆子和尚が帰ってきた。

手さぐりで堂内に入り、紙銭の中に入り込もうとする。

その手を、突然、誰かがむんずとつかんだ。(もちろん華厳禅師である。)

つかんだ主は、闇の中から問いかけた。

如何是祖師西来意。

如何ぞこれ、祖師西来の意。

「達磨禅師が西方から、禅を伝えにチュウゴクまで来たのは何のためだったのかな?」(禅の本質はなんじゃ?)

蜆子禅師は闇の中、一瞬の逡巡も無く答えた、

神前酒壺盤。

神前の酒壺と盤。

「ほれ、そこの神棚の前に、酒壺とお皿があるじゃろう」(あるがままにあることじゃ)

華厳禅師、蜆子和尚の手を放して、言うて曰く、

不虚与我同根生。

虚ならず、我と同根に生ず。

「まことに、わしと同じところから生えてきたやつ(同じレベルの悟りの境地にある禅者)じゃわい」

と。

その間に、蜆子和尚は、するりと華厳禅師を押しのけて、紙銭の中にもぐりこんでしまい、あっという間にいびきをかきはじめたという。

その後、後唐の荘宗(在位923〜926)が詔して華厳禅師を長安に招いたとき、蜆子和尚は禅師より先に長安で乞食していた。

毎日歌唱自拍、或乃佯狂泥雪、去来倶無踪跡。

毎日歌唱し自ら拍し、あるいはすなわち佯狂して雪に泥み、去来ともに踪跡無し。

毎日、どこかの街角で歌を歌うては自分で手を打ち、あるときは狂ったように雪の上に転がったり、どこに住んでいて、どこから来てどこに帰るのかもわからなかった。

あるひと、華厳禅師に

「あの蜆子和尚は禅師のお知り合いと聞くが、なんとかならないものなのですか」

と問うたところ、華厳は一瞬驚いたようであったが、やがて

「わしが、やつを? なんとかする? うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ・・・・」

と大声で笑うばかりであった。

蜆子和尚は、

厥後不知所終。

その後、終わるところを知らず。

その後、どこでどう死んだのかわからない。

死んでないのかも知れない。

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元・無名氏「神僧伝」巻九より。間もなくわしもシジミ和尚のようになって、もう元には戻ってこないであろう。

 

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