平成23年12月11日(日)  目次へ  前回に戻る

 

昨日はびっくりしました。朝起きたらあたまぐるぐるしてもう死ぬんかと思いましたが、こんなに気持ちいいんならまあいいかとも思いました。夕方まで寝ていたらだいたいふつうになりましたが、ちょっとだけだが人生観変わった。なお、しごとはどたきゃん。

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人生観が変わりましたので、いつもの漢文口調はやめまして、純日本風にまいりますヨ。

ハァー 朝もはよからヨー カンテラ下げて ナイ

坑内まわるもヨー ドント 國のためヨ

ア ヤロヤッタナ アンペラシイテ ヤッタナ デエコンパデフイタナー

「常磐炭坑節」である。囃しの部分がもしも次のように聞こえたとしたら、あなたはすでにかなり来ているのである。

あ 野郎やったな アンペラ敷いてやったな 大根の葉で拭いたな

以下、次のように続く。

ハァー 竪坑三千尺ヨー 降れば地獄 ナイ

ハッパどんとくりゃヨー ドント 若後家だヨ  (囃し略)

ハァー おらも見た見たヨー 選炭場のかげで ナイ

あねご帯ときゃヨー ドント のしかかるヨ  (囃し略)

ハァー ひとのおかかとヨー 枯れ木の枝は ナイ

ちょっと乗るのもヨー ドント 命がけヨ  (囃し略)

おお、おそろしいことである。

ところで、「ヨサホイ節」というのは大正十三年、広島の演歌師・秋月四郎が歌うて全国に広まったものらしいが、初めの形は、

これが別れか ヨサホイホイ

ひとりさびしく残るのは ホイ

わたしゃ死ぬよりまだ辛い ヨサホイホイ

という抒情あふれる「流行歌」だったのだそうであるが、これが「ヨサホイ」と「ホイ」の間に「ノ」が入ると一気に「春歌」となったのであった。

一つと出た出た ヨサホイノホイ

一人むすめと    は、ホイ

親の承諾得にゃならぬ ヨサホイノホイ   (以下、十まで略)

ところで、このシリーズに、

一 人見絹江 (陸上競技)

二 伏見直江 (剣劇)

三 三浦環 (歌曲)

四 与謝野晶子

五 石井小浪

六 村田嘉久子

七 不明

八 山川菊枝

九 九条武子

十 不明

というのがあるそうである。それぞれどんな人なのか、ウィキペディアで調べてみてください。

さてあるいはまた、・・・とこんな話ばかりしていると「なんだ、あいつは」と誹謗されダンアツされますから、このあたりにしておきます。以上、添田知道「日本春歌考」(光文社1966)より。

まあ、どうせ匿名HPだから好きなように謗り、お笑いいただければよいのでございますが。

謗者任爾謗   謗る者は爾の謗るに任せ、

嗤者任爾嗤。  嗤う者は爾の嗤うに任せん。

天公本知我   天公もと我を知れり、

不覓他人知。  他人の知るを覓(もと)めず。

 そしるひとがいるのなら、おまえさん、好きなようにそしりなさいませ。

 わらうひとがいるのなら、おまえさん、好きなようにわらいなさいませよ。

天なる主宰者はわしのまことを知ってくださっているのだから、

ほかの誰かに知られたいなどと求めることがあるだろうか。

これは、佐久間象山の「漫述」詩である。

好きなように謗り、嗤え、と言ってたら、象山先生は天治元年(1864)七月、京都で攘夷派に暗殺されちゃったんです。ハハ、ノンキだね〜。

 

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