平成23年11月3日(木)  目次へ  前回に戻る

 

本日は休みでした。明日は会社。わしの精神、耐えられるかな?

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六朝時代のことでございますよ。梁の武帝が将軍・王茂、䔥頴達らに命じて、自らに従わぬ郢の城を攻めさせた。

郢の町は激しく抵抗したが、取り囲まれたまま援軍も無く、既に餓死者も出る状態となった。その状況を察知した王茂ら将軍たちは謀議し、翌日を期して総攻撃をかけることとした。

その晩のことである。

郢城有数万毛人逾堞且泣。

郢城より数万毛人の堞を逾(こ)え、かつ泣くあり。

郢の城から、数万人にもなろうかという体中に毛の生えたひとが、城壁を越えて逃げ出してきた。彼らはみな泣いていた。

「堞」(チョウ)は、城壁の上の「ぎざぎざ」のこと。ここに身を隠して弓や弩を発する。この場合のように、城壁そのものをいうこともあります。

包囲軍は、城内の市民が脱出してきたのであろうと思い、声をかけて保護しようとしたが、毛人らは停止させようとする兵士らをすり抜けて行った。捕らえようとしても寸前のところで捕らえられないのである。

兵士らが事態の異常に気づいたときには、毛人たちは、

投黄鵠磯。

黄鵠磯(こうこくき)に投ず。

城の外をめぐる長江の黄鵠磯(黄色い鳥の岩)から、次々と身を投げて行った。

翌日、郢城は、それまでの抵抗がウソのように容易く陥落した。一方、毛人の遺骸は一体も上がらなかったという。

蓋城之精也。

けだし、城の精ならん。

「おそらく、ありゃあ、町の守護霊だったのだろうよ」

と兵士らは噂しあったということである。

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「南史」巻六「梁本紀上」より。(明・馮夢龍「古今譚概」巻33所収)

滅亡の前にはいろいろ前兆があるんですなあ。この「毛人」は自発的分裂で出てきたんでしょうね。わたしも何か前兆を見つけたら「天使のハンマー」を打ち鳴らして國中に知らせてあげたいけど、わしにはハンマーが無いからなあ。

 

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