平成23年9月18日(日)  目次へ  前回に戻る

 

まだ踏みとどまって、今日は富山市郷土博物館に逝く。それから高岡からバスに乗って太平洋側へ。バスの中で泣き寝入りしたので少し元気になったような。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日に続きまして、瑞龍鉄眼の詩のうちにこのようなものがあった。

「旧友に逢う」

離別東西二十年、  東西に離別すること二十年、

君専念仏我参禅。  君はもはらに仏を念じ、我は禅に参ず。

相逢何必論高下、  相逢いて何ぞ必ずしも高下を論ぜんや、

風月由来一様天。  風月は由来一様の天なり。

東と西に別れてしまい、もう二十年にもなるのう。

おまえさんは念仏に専心しておったと思うが、わしは禅をやっておった。

ここで逢うて、どうしてどちらがエライとかダメだとか論じ合うことがあろうか。

空の上の風と月は、わしら二人ともにずっと同じように接しているのだからのう。

瑞龍禅師はもと肥後の浄土宗の寺にいて、そこから出て上方で「明から渡ってきたばかり」の黄檗隠元のもとに参じたひとである。シナの新しい宗派に飛びついて難波で高名になったのだ。地元でずっと「念仏」をしていたひととは何となくわだかまりもあったのかも。
上の詩はちょっと上から目線的な気持ちもあるように感じるのは、わしの僻目かな。

 

表紙へ  次へ