平成23年8月21日(日)  目次へ  前回に戻る

 

秋でございますよ。

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秋なるものは、

@   これを春に比べると

如舎佳人而逢高僧于綻衣洗鉢也。

佳人を舎(お)きて高僧の衣を綻(ほころ)ばせ鉢を洗うに逢うが如し。

美しい女性(春)を放り出して、敗れ衣で鉢を洗っている徳高い僧侶に面会するようなものである。

A   これを夏に比べると

如辞貴遊而侶韻士于清泉白石也。

貴遊を辞して韻士と清泉・白石に侶(とも)にするが如し。

富貴の方々との豪華な宴席(夏)を放り出して、風雅な友と清らかな小川や美しい岩石を訪ねて歩くようなものである。

B   これを冬に比べると

如恥孤寒而露英雄于夜雨疎灯也。

孤寒を恥じて英雄を夜雨の疎灯に露(あらわ)すが如し。

貧しい一人暮らし(冬)は本来の姿でないと放り出して、時雨そぼ降る夜に、灯火の下で(ひとびとに)自分の野望と度量を見せつけるようなものである。

以上の比喩、頷くひともかぶりを振るひともあろうが、いずれにせよ、宇宙がこの季節にひとの胸裏の煩わしい溜まりものを洗い流そうと、山水の姿を新しくするのは確かである。

―――われらは、旅びとである。

旅びとの心ははかなく、

不能自清胸中以求秋之所在。

自ら胸中を清うすることあたわず、以て秋の所在を求む。

自分だけで心の中を洗い流すことができないから、だから(洗ってもらおうと)秋の在りどころを探しいくのだ。

而動曰悲秋。

しかしてややもすれば曰く、「悲秋なり」と。

そして、やがてつぶやく、「秋は、悲しいのだ」と。

さて。

わたしには五人の弟がおります。そのうち、すでに四人までは元服した。

わたしが夏の終わり、秋の初めに竟陵の田舎に帰ってみると、

「兄者」「兄者」「兄者」「兄者」「兄上ちゃん」

と寄ってきました。そして、みなわたしが秋の在りどころを探そうとするのを助けてくれた。彼らとともに秋を探していれば、

花棚草径、柳堤瓜架之間、亦可楽也。

花の棚、草の径、柳の堤、瓜の架の間も、また楽しむべきなり。

花を咲かせた壇、草の生えた小道、柳の植えられた土手、瓜のぶらさがった棚、どこもかしこも楽しい場所ばかりである。

出版業を営む友人・孟誕先がやってきて、最近のわたしの詩集ノートを閲して言うた。

子家居詩少、秋尋詩多。吾為子刻秋尋草。

子、家居の詩少なく、秋尋の詩多し。吾、子のために「秋尋草」を刻せん。

「おまえさん、最近は家にいてうたった詩がほとんどないね。代わりに秋を探しに行く詩ばかりだ。・・・おまえさんのせいで「秋探しの本」という題名の詩集を印刷させてもらうことになりそうだな」

と。

そして、わたし自身に詩集の序文を書くように、と薦めたので、書いたのがこの文だ。

夫秋也、草木疎而不積、山川淡而不媚、結束涼而不燥。

それ秋や、草木疎らにして積まず、山川淡にして媚びず、結束涼にして燥ならず。

秋というやつは、草木がまばらになって濃密でないし、山川はさっぱりとしてじっとりしてないし、何かしら涼しげで熱っぽくない。

天下の山と水は多く、わたしはその半分さえ経めぐることはできないであろうが、それでもこの耳で聴き、この目で見、この足で歩いて得た一つの石、一つの流れの、そこでうろうろしてしまいそこから去りがたいもの、それらのことを記した詩集なのである。

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譚友夏「秋尋草自序」「晩明二十家小品」より)。理屈っぽいのでまだ救われていますが、一変すればキンダイ的ななよなよしさに至りそうなこのリリシズムが萬暦以降の一面である。明治〜大正のおっさん(若山牧水とか室生犀星とか)たちの詩集の序文でも何とかさまになりそうでは。晩明は、幕末〜明治の文人たちが「国民文学」を創りだすときに、本当に参考になったと思いますよ。

つかの間に消え去りしは

あきつのかげにあらざるか

ぐらすのごとき秋の日に

かげうち過ぐるもの

わが君のかげにあらざるか (室生犀星「秋の日」)

 

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