平成23年5月26日(木)  目次へ  前回に戻る

 

「史記」巻八十三は戦国の弁舌の徒・魯仲連と漢代に文章を以て重用された鄒陽の合伝である。

この鄒陽なる者はもと斉(山東)のひとであるが、梁(河南)に行き、その地の弁舌の徒らと交わった。

この間に、梁王の寵臣らを書を以て批判することがあり、彼らに讒されて梁王に捕らわれ、処刑されることになったのである。

鄒陽決して懼れおののくことなく、牢内において竹簡をとり、これに文章を書いて梁王に奉った。

これが「獄中上梁孝王書」というものでありまして、その中で、殷から漢にかけての忠臣と逆臣の例を引き、自らの忠臣であることを切々と訴えるのであるが、やがて

臣聞。(やつがれはこのように聞いておりまする。)

と言うて次のようなことを書いた。

明月之珠夜光之璧以闇投人於道路、人無不按剣相眄者。何。

明月の珠、夜光の璧、以て人に道路において闇投すれば、人の剣を按じて相眄せざる者無し。何ぞや。

月より明るい「明月のタマ」といわれる宝物、夜中にも光る「夜光の円形のタマ」といわれる宝物、これらの貴重な宝物であっても闇の中で道を歩いているひとに投げつけたなら、そのひとは

「あわわ、な、なんだ?」

と腰の剣に手をかけ、ぎろぎろとにらみまわすに決まっております。何故でしょうか。

それは、突然出現したからである。

わたくし、鄒陽も忠義の心と才能を持っている「タマ」でござる。

しかし、今、王様の前に誰の紹介も無く現れてしまった。そして、讒人らによって、王さまに突然投げつけられたのでございます。

王さまが剣に手をかけてわしをにらみまわすのもよくわかりますよ。

ところで、

今欲使天下寥廓之士、摂於威重之権、主於位勢之貴。

今、天下寥廓の士をして、威重の権を摂し、位勢の貴に主たらしめんとす。

今、陛下は天下のひろびろとした心のサムライを得て、彼らに重い権力と高い位を与えたいと思っておられるのではございませぬか。

それなのに、陛下は阿諛追従のひとびとばかり左右に侍らせておられる。そのようであれば、

士伏死掘穴巌巌之中耳。

士、巌巌の中に穴を掘りて伏して死するのみ。

サムライたちは(世を逃れ)、山中の岩の中に穴を掘って、その中に寝転がって死んでいくばかりであるに決まっておりましょう。

―――「おお!」

この書を読んで梁王は感動し、

王使人出之、卒為上客。

王ひとをしてこれを出ださしめ、ついに上客と為す。

王は、ひとを使わして鄒陽を牢から出させ、とうとう上級顧問となされた。

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のでございます。

「明珠投暗」(明珠を闇に投げる)とは、才能が埋没させられている、ことをいう「四字熟語」でございます。

これで、昨日のイ)に当てはめてみると・・・

イ やったな、「明珠投暗」(人材が埋没させられている)だ。おれたちの粘り勝ちだぜ。

これも正しいような・・・。「情けはひとのためならず」。ならば、誰のためなんだ? というぐらいなら、あたら人材が埋もれてしまう社会、人材でないこちらの粘り勝ち・・・になるかも?

それにしても、海水注水の中断はしてなかったそうなのです。なんだか闇の中で落とした珠を手さぐりで探しているかのような「本当の情報」の開示のされ無さ、ではありませんかなあ。もうどうでもいいのかなあ、みなさんは。

 

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