平成23年4月11日(月)  目次へ  前回に戻る

 

昨夜はニュースを見て、永井建子詞「元寇」を歌ってしまいました。〽天は怒りて海は逆巻く大波に、国にアダをなす十四万の○○勢は、底の藻屑と消えて、のこるーはただ三人。

「こうなることはわかっていたのだ。思い知ったか、○○奴どもめ、わはは」

と己れの予測の術を誇っていると、老先生がやってきて、

「何を誇っているのかな?」

と問います。

「やや、これは先生、実はしかじか・・・」

と自分の予測が当たったことを誇りますと、老先生は「いやいや」と首を横に振る。

「まだまだじゃのう、肝冷斎は」

「は・・・はあ・・・。世道はあざなえる縄の如し、もっと先を観なければならぬ、ということですか?」

老先生、また首を横に振って、

「情けなや、肝冷斎。こんな初歩的なことを教えねばならぬとはな・・・」

と先生は語り始めた。

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第一話。

晋の景公はおそろしい夢を見たそうな。

覚めて「桑田の巫」(「桑田」は地名である。)を呼んで夢解きをさせた。

老いた巫女は言う、

不食新矣。

新を食らわざらん。

今年のムギの新穂は食べられますまい。

ムギが実るまで公の命は持たぬ、というのである。

これを聞いて、景公はあおざめ、そのまま病の床についた。

夏六月。

ムギの収穫があった。

景公はその報告を受けると床から起き上がり、

欲麦使為饋。

麦を欲して饋を為さしむ。

収穫したムギを持ってこさせると、すぐにこれを調理せしめた。

そして桑田の巫を召す。

巫が至ると、公は彼女の前にほかほかと湯気を立てるムギを持ってこさせ、

示而殺之、言及食新。

示してこれを殺し、言いて新を食らうに及ぶ。

それを指し示しながら「おまえは、わしがこの新穂を食べることができぬと言いおったのう」と責め立てて、殺した。

「ふん、無能めが・・・」

景公は巫の死体を片付けさせてから、

将食、張、如厠、陥而卒。

まさに食らわんとしてし、厠に如(ゆ)くに、陥(お)ちて卒す。

ムギを食おうとしたところ、腹が張ってしようがないのでトイレに行った。そこで便ツボに落ちて、死んでしまったのである。

時に魯の成公の十年(紀元前581)のことであった。(「春秋左氏伝」より)

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第二話。

唐のころ、捕賊官であった李某の食卓に魚の鱠(薄切りの刺身)が載せられているのを見て、幕僚の一人が

「李さまはこの鱠を食べることはできますまい」

と言うた。

「何を言い出すのだ?」

李は笑い、箸をつけてまさに鱠を口に運ぼうとしたところ、

京兆召。

京兆召す。

上官である長安の都知事さまの呼び出しがあった。

「むう。いいか、この鱠は残しておくのだぞ」

と言うて李は知事の公邸に向かったのであった。

そこで料理人は二キレの鱠を別皿に移して残しておいた。

李は知事公邸から帰り、

執箸而罵。

箸を執りて罵る。

箸を手にすると、「おまえの言うとおりになどなるものか」と予言した幕僚を怒鳴りつけた。

そのとき、箸を持たない方の手で卓を強く叩いたので―――

言未了、亭子仰、泥堕。

言いまだ了らざるに、亭子仰し、泥に堕す。

怒鳴り声がまだ終わらないうちに、食卓はひっくりかえり、鱠は飛び上がって庭の泥の上に落ちてしまった。

鱠雑塵埃。

鱠、塵埃に雑る。

鱠は、ちりあくたまみれになってしまった。

李某は鱠を食べるのをあきらめたのであった。(「逸史」「太平広記」所収)より)

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さてさて。

此二人者、術則験矣、殺与罵亦不免。

この二人なる者は術はすなわち験すれど、殺と罵とをまた免れず。

この巫女と幕僚の二人は、どちらも予言の術が当たったわけだが、一人は殺され、一人は怒鳴られたのだ。

蓋藝成而下、君子慎之。

けだし藝成りて下るは、君子これを慎むなり。

つまるところ、術が一定のレベルに達したら表には出ないようにする。君子人はそこのところをよくわきまえるべきである。

ということなのじゃ。

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と、老先生がおっしゃったので、わしもこれからはあまり先のことは言わぬことにすることにしました。今までの発言は取り消し。無かったことにしてください。

ちなみに老先生は清の兪正燮、字・理初というひと(1775〜1840)である。先生は安徽の生まれ、長く幕僚などして暮らした読書人で「癸巳類稿」「癸巳存稿」などの緻密な考証で名高い。本稿も術士のおちいりやすい失敗を考証してまことに緻密ではありませんか。人間的にも、たいへん人間味のあるすばらしいひとであったと周作人先生もおっしゃっているほどのすばらしいひとであったようである。本稿は「癸巳存稿」巻十二より。

 

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