平成22年12月5日(日)  目次へ  前回に戻る

寓言です。

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春秋のあるころ、

鄭人使子濯孺子侵衛。

鄭ひと、子濯孺子(したく・じゅし)をして衛を侵(おか)させしむ。

鄭国は、子濯孺子(したく・じゅし)という者を将として衛国に侵入させたのであった。

寓言というのは「たとえ話」ですからそこに現われる「固有名詞」は単なる記号であり、意味をなさないのである。よって、以下、「鄭国」=、「衛国」=とし、「子濯孺子」を「エビ六」と読み替えます。

T国は、エビ六をしてA国に侵入させたのであった。

エビ六はA国を一撃してすぐに兵をまとめて引き上げようとした。

これに対し、A国の方は、

使庾公之斯追之。

庾公之斯(ゆこう・しし)をしてこれを追わしむ。

庾公之斯(ゆこう・しし)という者を将としてエビの軍を追撃させた。

また長い名前を使いやがってめんどくさいので、「庾公之斯」は「イカ十」と読み替えます。

イカ十に命じてエビ六を追撃させたのだ。

イカ十の追撃の速度は速く、エビ六は国境の手前で追いつかれてしまった。

追手の姿を目にして、エビ六はその従者に向かって言うた、

今日我疾作、不可以執弓、吾死矣夫。追我者誰也。

今日、我疾作(おこ)り、以て弓を執るべからざれば、吾死なん。我を追う者は誰ぞや。

今日はわしは疾病のために腕が震えて弓を持つことができんのじゃ。今日こそわしは死ぬのであろう。わしを追いかけてきているのは何というやつであろうか(。わしはそいつに命を取られるのだなあ)。

従者、答えて曰く、

「イカ十どのにございます」

すると、エビ六、

「何、イカ十とな? うはははー」

と大笑い。

吾生矣。

吾、生きんかな。

「わしは生き残れたぞ」

と言うた。

従者曰く、

「イカ十どのは

衛之善射者也。夫子曰吾生、何謂也。

衛の善射者なり。夫子の「吾生きん」と曰うは何の謂いぞや。

A国では有名な弓の名人ですぞ。なのに、だんなさまは「わしは生き残れたぞ」とおっしゃる。どういうことですかな」

エビ六は答える、

「イカ十は

学射於尹公之他。

射を尹公之他(いんこう・した)に学ぶ。

弓の道を尹公之他(いんこう・した)に学んだはずじゃ」

まためんどくさい名前が出てきましたので、「尹公之他」を「タコ八」と読み替えます。(それにしても「いんこうした」というのはオモシロい名前ですね)

「弓の道をタコ八に学んだはずじゃ。

そして、タコ八はわしの弟子であった。

タコ八は

端人也。其取友必端矣。

端人なり。その友を取るも必ずや端ならん。

きちんとした男であった。(イカ十は)その彼が弟子と見込んだ人物じゃ、必ずきちんとしたやつであろう」

そうこうするうちに、

どこどこどこ・・・・

ついにイカ十の軍はエビ六の軍に追いついた。

エビ六は戦車の上で立ちすくんでいる。

イカ十いう、

夫子、何為不執弓。

夫子、何為(す)れぞ弓を執らざる。

「おやっさん、どうして弓を手にしようとしないのだね」

エビ六は、

「今日、わしは腕がしびれて弓を引くことができんのじゃ」

と答えた。すると、イカ十はいう、

「なんと! そうですか。わたしはタコ八のおやっさんに弓を学んだ。タコ八のおやっさんはエビ六のおやっさんに弓を学んだと聞いている。

我不忍以夫子之道、反害夫子。雖然今日之事君事也。我不敢廃。

我は夫子の道を以て反って夫子を害するに忍びず。しかりといえども今日のことは君のことなり。我あえて廃さず。

わたしにはおやっさん、あんたの教えた道であんたをやっつけることはできん。しかし、今日、追いかけてきたのは君主の命令で来たのだから、わしは止めてしまうわけにもいかんのです」

そういうと、イカ十は、

抽矢扣輪去其金、発乗矢而後反。

矢を抽(ぬ)き輪を扣(たた)きてその金を去り、乗矢を発して後、反れり。

「乗」は「四」。

箙から矢を抜くと、その先で戦車の車輪の枠を叩いた。こん、こん。叩かれた矢からは、金属のヤジリが抜け落ちた。イカ十はその矢を四本、エビ六に向けて射かけると、くるりと車をめぐらせ、引き上げて行った。

ちなみにヤジリの抜けた矢は、四本とも過たずエビ六の胸を打った、という。

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「孟子」離婁下篇より。弟子が先生をやっつけたときに、先生に反論させないための「寓言」らしいです。さあさあ、みなさん、自分の身に置き換えて考えてみてくださいよ。自分をエビ六に置き換えてもタコ八に置き換えてもイカ十に置き換えても、考えるべきことはあるはずじゃ。

 

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