平成22年12月3日(金)  目次へ  前回に戻る

いやだなあ。

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元の終わりに世は乱れた。

各地に群雄と呼ぶも愚かしい盗賊たちが割拠し、国の混乱に乗じて地方の都市を劫略し、掠奪の限りを尽くしていた。

淮水のほとりにある淮陽の町もその毒牙にかかり、美しい町並みは焼かれ無数のひとびとが虐殺されて、その屍を収めるひとも無かったのだった。

この町に葉宗可という書生が暮らしていたが、この掠奪に家と妻子を失い、町を占領した賊軍に見つからぬよう

昼伏夜行。

昼伏し、夜行く。

昼間は物陰に隠れ、夜中に移動しては食べ物をあさって生をつないでいた。

ある晩、廃墟を白々と照らし出す月光の下、飢えと絶望に打ちひしがれ、

倦臥地上雑衆屍中。

倦みて地上に臥し、衆屍中に雑わる。

疲れ果てて、死体の散乱する地面に横になっていた。

月光の下、死体は今日殺されたものもあればすでに腐敗したものも多く、激しい悪臭とともに飛び交う蠅の音がすさまじいほどである。

もはや食べ物や飲み物を探す気力もない。自分もこのまま死体と化すのであろう。

―――くだらぬ。・・・ひと、というものは。

運命への怒りよりも諦念の方が先に立つ。

・・・・どれほどの時間が経過したであろうか。

ひし。ひし。ひし。・・・・

と、何者かが近づく足音がする。二人だ。賊軍の兵士が生き残りの人間をしらみつぶしに殺そうと見回りに来たか。死人から金目のモノをはぎとろうとする盗人か。

―――どうでもよい。

と思いながら、その足音の方に視線をやると、

月明見一道士、偕一童子以燭燭群屍。

月明に一道士の、一童子の燭を以て群屍を燭(て)らすを偕(とも)にするを見る。

月光の下に、一人の道士が、童子を伴って歩んでくるのが見えた。童子は手に灯りを持っており、それで散乱する死体を照らしている。

道士は童子に照らし出させながら、死体を一一検分しているようだ。

「これは・・・ふん、じじいか。こちらはこどもじゃな。・・・こいつは・・・なんじゃ、背中にこぶがあるわい・・・。こちらは・・・足曲がりじゃわ・・・。おい、そちらの方を照らし出してみよ」

―――う。

さすがに疲れ果てた葉宗可さえ一瞬驚いた。

燭の灯りが向きを替えたときに浮かび上がった道士と童子の姿が、おぞましいほどに異様であったからだ。

道士は、おそろしいほどに老いていた。腰が大きく曲がり、背丈はおとなの半分ほどであろうか。顔は、皺だけが寄り集ったかと思うほど小さく萎み、鷲鼻だけが突き出ている。杖をつかんだ手と腕は、痩せこけて骨としか見えぬ。童子は―――これを童子と呼んでよいものか。確かにこどもの服を着、背の丈は二尺ほどしか無いのであるが、顔はつるりと瓜のようにのっぺらで目も鼻も口もないのだ。そして、道士の言うままに燭を動かすが、まるで魂の無いモノの如く、一言も発することがない。

「お。おお、あったわ、あったわ、くくくく・・・」

道士の顔のしわが、一瞬ひっくり返った。と見えたのは、笑ったのであろう。

道士は、若く美しい女の死体を見つけたのである。

「くくく、今度はこれがよい、これがよいわ」

道士はするりと服を脱いで、おそろしいほどに痩せさらばえた枯木のような裸身となった。そして、女の死体の上におおいかぶさる。

与之、合体相抱持、対口呵気。

これと体を合して相抱持し、口に対して気を呵す。

死体にぴたりと体を引っ付けて抱きつくと、その口に口をつけて、息を吹き込んだ。

―――!

葉宗可は、息をこらして盗み見ていた。

彼は、さっきまでの絶望に代わって、何かしらもっと力強く、しかし冷め切ったものを身のうちに感じ始めていたのである。

良久、道士気漸徹屍。

やや久しくして、道士の気、漸く屍に徹(とお)る。

しばらくの時間をかけているうちに、道士の吐いた呼気が、女の屍の中に染み通って行ったようだ。

―――・・・・・・。

その女の体は、

冉冉動。

冉冉(ぜんぜん)として動く。

びくり・・・、びくり・・・、と動きはじめたように見える。

一方で、上に乗った道士の体はさらに小さく萎んでいくように見えた。

さらにしばらく経った。

月明かりの下。

道士はもう動かなくなった。

女の方は、

俄而欠伸、又開眼、遂推道士于地、蹶然而起。

俄にして欠伸し、また眼を開き、ついに道士を地に推して、蹶然(けつぜん)として起つ。

突然背を伸ばし、あくびをした。そして、目を開くと、体に乗った道士の体を地面に押しのけて、すっくりと立ち上がったのだった。

月光の下で、妖しいほどに美しく、豊かなおんなのからだが、立ち上がったのだ。

道士の方は抜け殻のように「かさり」と音を立てて地面に落ちたままで、ぴくりとも動かない。

おんなは、道士を見やり、それから近くの別の死体からぼろ布をはぎとって身にまとうと、にやり、と笑った。

そして、

「行くよ」

と、

令童子執燭而去。

童子をして燭を執らしめて去れり。

童子に燭を挙げさせ、いずこかへ消え去って行ったのだった。

二人の姿が見えなくなったころ、葉宗可は死体の中から起き上がった。

―――ふははは、はははは・・・。

葉は笑っていたのである。

―――世の中には、なんともおもしろいことがあるものだな。はははは。

そして、立ち上がって、裾に攀じ登っていた蛆虫どもを払い落とすと、

―――おれも生き延びて、おもしろいことをしてみなければなるまいよ。ははははは・・・・。

と月光の下で笑い声を上げながら、別の方向へと歩み去って行った・・・。

その後しばらく葉宗可が何をどうしていたのかはわからないが、数年後に群盗の一人として手下を率いてから、朱元璋に敗れて野垂れ死ぬまでの彼の事績は明らかであり、その悪逆と非道のさま史上に稀に見る梟賊として、その名を史書に止めるのである。

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死体にチュー。いやあん。これは「魔界転生」第八部・・・ではなく、「元明事類鈔」巻十九にあった。枝山・祝允明の「志怪録」に拠る、という。

 

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