平成22年10月11日(月)  目次へ  前回に戻る

十月十一日が体育の日!だったのですなあ。今日は天気よくて暑かった。

暑くてももう秋も深い。憂愁の病に憑りつかれて身動きならずなる前に、莫愁の歌を聞こうではないか。

莫愁とは何か?

そのまま読むと「愁うる莫れ」ですが、旧唐書・音楽志(巻二十九・音楽志二)を閲するに、六朝・宋の時代に湖北・石城のあたりに

有女子名莫愁、善歌謡。

女子あり、「莫愁」と名づけ、歌謡を善くす。

「莫愁」という名の女性がいて、その歌は絶品であった。

という名高い歌姫である。

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宴に呼ばれてきた莫愁姐さんは、「ばん」と琵琶を掻き鳴らして、

「あたいの歌を聴きたいっていうひとがいるのかい?」

とぎろりと切れ長の目でおれたちを睨んだのだ。

「そうだ、あんたの歌が聴きたくて、おれたちはここにいるんだ」「そうだ」「そうでごんす」

と囃したてると、莫愁姐さんはまた「ばん」と琵琶を叩いて、第一歌。

莫愁在何処。  莫愁は何処にありや。

莫愁石城西。  莫愁は石城の西にあり。

艇子打両槳、  艇子、両槳(りょうしょう)を打して、

催送莫愁来。  莫愁を催送して来たれ。

「槳」(しょう)は「かじ」。両槳はかじを二本にして船足を上げよ、というのである。

 莫愁はどこにいるんだい?

 莫愁は石城の西にいるよ。

 船頭さん、かじを二本にして急ぎの船で

 あのあばずれを呼んできておくれ。

―――これがおそらくオープニングの歌だったのでしょう。

そのあと楽府題の歌(いわゆるスタンダード曲)を何曲か歌って盛り上げ、エンディングには

聞勧下揚州、  勧(きみ)が揚州に下ると聞きて、

相送楚山頭。  相送る 楚山の頭(ほとり)。

探手抱腰看、  手を探りて腰を抱き看よ、

江水断不流。  江水、断じて流れず。

「勧」(カン)は六朝江南方言の男性に対する二人称。「あなた」。「揚州」は今のナンキンあたりで当時の大都会。男は、長江を下って交易か仕官にいくのである。

 あんたが揚州に行っちまうと聴いたから

 あたいはあんたを楚山のあたりまで送りにきた。

 あたいの手を握り、あたいの腰を抱いてみてよ。

 これでもう江の流れも止まるのさ(、あんたはあたいを置いていけない)。

と歌って、おとこどもは恋に似たシアワセな気分となり、宴を終えるのであった。

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以上、「莫愁楽」二首。オープニング曲(かどうかほんとは知りませんが)の方は「旧唐書・音楽志二」より。エンディング曲(かどうかほんとは知りませんが)の方は「六朝詩選俗訓」(本朝・江南先生訓訳/平凡社東洋文庫666)に載せてあったので使った。

ちなみに江南先生(田中応清、江戸のひとなり。1728〜1780、医を業とし、古文辞の学を修むという)の注によれば、エンディング曲の最後の二句

探手抱腰看、  手を探りて腰を抱き看よ、

江水断不流。  江水、断じて流れず。

は、

実は、

月水の留まりたるを云ふ。

月経が止まった!ということを言うているんじゃ。

そうである。

見送りに来て別れのときになって、おんなの方から言うのである。

恥かしかつた故、今までは隠して居んしたが、わたしや、何日(いつ)からやらか、月水留まりて、これこのやうに、なりました。

まあ、かヽへて看さんせと、歓が手をとりかヽへさせて、こふ云ふ身じやから早く帰つてくださんせ。

むっふん。恥ずかしかったので、ここへ来るまで隠していましたわ。でもあたし、いつからですかしら、月のものが止まりまして、これ、このようになったのよ。ちょっと抱いてみてくださいな、―――とおとこの手をとりまして、腰のまわりを抱かせて、

ああん、こんなからだにしたのは誰かしら。お願い早くナンキンから帰ってきてくださいね。うふ。

↑これが江南先生の訳である。にやにやしながらか真剣な顔してか知りませんが、いい歳したじじいがこんな訳を書いていたのだ。恥ずかしいことである。

言われてみれば心当たりあったりするかどうかは別として、そう読んだ方がおもしろい気もいたします。江戸びとの読みの深さは感動的でさえある。

 

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