平成22年10月9日(土)  目次へ  前回に戻る

本当かどうか知りませんが。

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漢の時代、汝南の戴紹、字・幼起というひと、父の喪に服して三年の喪が明けると、

譲財与兄、将妻子出客舎中住、官池田以耕種。

財を譲りて兄に与え、妻子を将いて出でて客舎中に住み、官池の田以て耕種す。

財産中の自分の取り分を兄に譲り、自分は妻子を連れて出て、域外からの移住者を住まわせる仮設住宅に住み、官池(湿地を政府が整備したものであろう)の近くの公有田を借りて耕作して暮らした。

財産を省みなかった、ということであるらしい。

後、税収・出納を掌る(見入りのよい)地方官である上計史に任命された時、

独車載衣資、表汝南太守上計史戴紹車。

独車に衣資を載せ、「汝南太守上計史・戴紹の車」と表す。

手押しの一輪車に着る物と全財産を載せ、「汝南太守の部下である上計史・戴紹の車」というのぼりを立てて、それを自分で推しながら赴任した。

ということである。

後、挙げられて陝州の太守となった。

―――ちょっと変わったひとのようですが、このひとのことについて、後漢の応劭が「謹んで按じるに・・・」と意見を述べているので聞いてみます。

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どこか納得がいかないのである。すると、ひとはどこが納得がいかないのか言え、と言う。

そこで言わねばならないと考えたのである。

「礼」の規定(「儀礼」)に

―――東と西に別れ住み、それぞれの生活をするけれど、

不足則資、有余帰之于宗也。

足らざれば資(たす)け、余り有ればこれを宗に帰す。

不足があるときは助け合い、余りが出たときには本家に納入する。

のがそれぞれの家を成した兄弟の有り方だ、と書いてあるのである。

それなのに、戴紹は一族の住む地から離れ、自ら耕作して粥を食う生活をしたということである。

一輪車を押すのはおかしくはないのである。しかし、

復表其上、其為飾偽。

またその上に表し、それ飾偽を為すなり。

その上にのぼりを立てているのである。これは、飾って偽善を為しているのである。

そうでないというひともいるだろう。わたしはそうだと思うのである。

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そうですか。応劭「風俗通義」(あるいは「風俗通」)巻四より。

意見の部分は尊敬する山本夏彦大先生ふうの文遣いで訳してみた。見つかったら怒られるかも知れません。が、心配はしないのである。弱小すぎて目にも止まらないのだからである。死んでおられるし。

 

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