平成22年7月30日(金)  目次へ  前回に戻る

今週から、うつうつがはじまっている。二週間続いたら周囲のひとは気をつけてあげねばなりません。

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秋浦長似秋。  秋浦 長(とこし)えに秋に似たり。

蕭條使人愁。  蕭條として人をして愁えしむ。

客愁不可度、  客愁 度(すく)うべからず、

行上東大楼。  行きて東大楼に上る。

正西望長安、  正西に長安を望み、

下見江水流。  下に江水の流るるを見る。

寄言向江水、  江水に向かいて言を寄せん、

汝意億儂不。  汝の意、儂(われ)を億(おも)うやいなや。

遥伝一掬涙、  遥かに一掬の涙を伝え、

為我達揚州。  我がために揚州に達せよ。

 秋浦の景色は、終わらない秋のようである。

 さびしくて、人を悲しみに沈めてしまうのだ。

 さすらいの悲しみをいやすことができずに、

 おれは東の大楼に昇ってみた。

 真西には長安の都があるはずだ。

 足元を江の水が流れていく。

 江の水よ、おぬしに問いたいことがある。

 おぬしは、わしをやさしく思うてくれるじゃろうか。

 (もし思うてくれるのなら、)遥かにこのおれの一すくいの涙を

 遠い揚州の浮かれ町まで届けてくれぬか。

李太白「秋浦吟」一。秋浦は唐の池州府にあった地名だそうです。今は安徽に属する池州から揚州まで長江を下っていけば500キロぐらいでしょうから、長江にサービス精神があれば、一すくいぐらいの涙を届けてくれてもいいぐらいの距離?かな。

池州から長安は、真西とはいえず西北西ぐらいですが、まあ詩的表現としては「正西」でよろしい。そして、「揚州」は唐ひとにとって、そこで過した青春と頽廃の象徴なのであろう。

先週、明治三十四年に南州外史・近藤元粋の編んだ「李太白詩醇」が古書店の店頭に500円で転がっていたのを拾ってきました(「拾った」というのは比喩的表現であり、経済事象的には500円+25円払って買ってきたのである)。ので、久しぶりで李太白の詩を読んでおります。

わしも、80〜90年代の「ベル・エポック」(善き時代)に青春を送った者として、

「はるかに一掬の涙を伝え、我がために揚州に達せよ」

と口ずさむ資格はあるであろう。

それにしても景色を眺めながら、突如として「江の流れ」と話し始めるというこの展開、李太白はいつもながら、イカれておられる。HIPです。アタマに@マーク(←くるくるマーク)がいくつもついているようなほんとの「詩人」である。

たんぽぽは地の花 詩人は不遇でよし

寺山修司先生が亡くなってもう何十年になるのでしょうかなあ。真夏は死んだひとのこと多く思い出すねえ。

自分の中の悲しみに泣いてしまわないように、今日もひとの詩を口ずさもうと思う。

 

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