平成22年7月22日(木)  目次へ  前回に戻る

昨日、楽器の話をしたついでに、この世には色んな「術」があるものでございますが、「審音術」なる術についてお話ししておこうと存じます。

明の時代のことでございますが、周坦というひとが試験に落ちて、南京の色街あたりをふらついていた。

付き随っている忠実な下僕の王が、

「だんなさま。こんなところをふらついていて何になりましょうか。再起を期してお勉強をなさるか、家に帰って大だんなのお仕事を手伝うか、どちらかになさりませ」

と苦言を呈したところ、周は

「うるさい! おまえに何がわかるか!」

諮コ詬僕。

諮コして僕を詬(はずかし)む。

怒鳴り声を上げて、下僕の王を叱りつけたのだった。

怒鳴られてうつむく老いた下僕。若い主人が実直そうな下僕を怒鳴っている。回りのひとたちは眉を顰めたり知らぬ顔をしたりしながらも、若い方に非難の目を向ける。さすがに気まずいのか、舌打ちして視線を泳がせる周。

・・・・・・と、

「いやあ、これはすばらしい、すばらしい」

とにこやかに近づいてきた老人があった。

老人は周の前に立つと、

「わたくしは浙江・富春のと申す者じゃ。わしは若いころわけありで各地を彷徨っておりましたが、その間に

遇異人授以審音之術

異人に遇いて授けらるに審音の術を以てす。

不思議なひとに会うたことがあり、そのひとから「音から未来を探る術」というのを教えてもらいましたのじゃ。

そして、今、お若い方、あなたの張りのある怒鳴り声を聞いた・・・」

と言うて、孫と名乗った老人は落ち窪んだ目を周の方に向ける。

審音の術、とはあまり聴かぬ術ではあるが、

「は、はあ・・・」

周が何と答えようかと迷うているうちに、老人、突然、

揖之、曰、状元何来。

これに揖して曰く、「状元なんぞ来たれるや」と。

胸の前で両手を組み、袖を左右に振る「揖」(ゆう)の挨拶を行い、

「状元さま。どうしてこんな場末の色街になどお見えになったのでございますかな」

と言うて、またじっと周を見つめたのであった。

「状元」は科挙の首席合格者のことである。そして、揖礼は、相手を自分と同等以上の人物と認めたときに行う挨拶の仕方である。それを老人が若者に対して行ったのであるから、たいへん尊重していることの意思表示なのである。

「は、はあ・・・、いや、わたしはそんなものではないのですが・・・」

周は根が小心でマジメな男であったので恐縮し、老人に深々とアタマを下げると、すぐ下僕の王を伴って帰宅した。

しばらくは家でぼんやりしていた周であったが、やがて孫老人の言葉を思い出し、

「あの老人の未来予測の術が、当たっていない、とも言い切れまい。もう一度やってみるか」

と、また試験勉強を開始したのであった。

もともと暗示にかかりやすい青年だったのかも知れぬ。周はそれからメキメキと実力をつけ、数年後に行われた次回の科挙試験において、みごと

択進士第一。

進士第一に択ばる。

進士科の首席に選ばれたのである。

周は合格後、お礼を言おうとかつての色街界隈に富春出身の孫某という老人を訪ねたが、とうとう見つけることはできなかった。それだけでなく、「審音の術」を操るその老人がいたことさえ記憶しているひとが無かったのは、まことに不思議なことであった。

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「元明事類鈔」巻十八より。もと「瓯江逸史」という書に記載されていたことという。

「審音の術」というのも不思議といえば不思議ですが、それよりも、(結果としては成立しておりませんが)競馬の「コーチ屋」という商売を思い出してなりません。構造は似てますよね。

 

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