平成22年7月7日(水)  目次へ  前回に戻る

北宋の建中靖国元年(1101)のこと、登封府の令として赴任していた楼世可が、都にいるはずの友人・陳無己(後山居士)の夢を見た。

陳は別離の挨拶に来たのである、という。

行李遽甚。

行李遽(にわ)かなること甚だし。

大急ぎで荷物を作っているところだということであった。

楼世可が

「いったいどこに行くのだね」

と訊ねると、陳はにこやかに笑って、

暫往杏園。東坡、少遊諸人在彼已久。

暫く杏園に往かん。東坡、少遊諸人、彼しこにありて已に久し。

「間もなく「あんずの園」に行く。蘇東坡先生や秦少遊くんがあそこに行って、もうずいぶんになるからな」

と答えたのであった。

「そうか、では東坡先生たちによろしく」

目を覚まして気づいたのだが、東坡先生は今年の春に亡くなったのであったし、秦少遊ももう亡くなって久しいではないか。

数日すると都から書面が届き、(案の定)陳無己が急逝したことを報せてきた。

「おかげでわしは楽しみでしようがない」

と楼世可は言うのだった。

「わしも間もなく「あんずの園」に行って、彼らと会うことができるのだからな」

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「・・・ならば今逝け」

とヤラれてしまわなかったので、楼世可は北宋末の党争の嵐の中でいましばらく生きておられたようです。

「春渚紀聞」巻六より。杏子の話をしようとするとまた諸書に当らねばならぬので、止めてもう寝ます。今日のところは、マジメにやっていけばやがては行くべきところに行けるのではないか、ということをかすかに予感して、これを成果といたしたい。

杏村(あんずむら)から手紙が届く 昨日 お前の誕生日だったね・・・の杏村もこの類か・・・。

 

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