平成22年6月13日(日)  目次へ  前回に戻る

(昨日の続き)

・・・おやじが嘆きながらいいますことには、

布衾多年冷似鉄、  布衾(ふきん)は多年 冷なること鉄に似、

嬌児悪臥踏裏裂。  嬌児悪臥して踏裏に裂く。

わしの掛け布団はもう何年も何年も使っているので、ぺしゃんこで冷たいことは鉄のようじゃ、

しかもうるさい子どもたちが寝相も悪く、踏み破ってしまって裂けているのじゃ。

「それはたいへんですなあ」

―――今回、屋根の茅が飛ばされてしまったので、

牀頭屋漏無乾処、  牀頭の屋漏れて乾ける処無く、

雨脚如麻未断絶。  雨脚は麻の如くいまだ断絶せず。

ベッドのまわりは屋根が雨漏りするので、乾いているところも無い始末。

雨は麻のように降り込んで途切れることもないのでござる。

自経喪乱少睡眠、  喪乱を経しより睡眠少なく、

長夜沾湿何由徹。  長夜沾湿(てんしつ)して何によりてか徹せん。

安禄山の大乱が起こりてよりこのかた、(生活苦と不安のゆえに)ゆっくり眠れたことも無いが、

今晩こんなにまわりが湿っていては、秋の長夜をどうやって朝まで過せばいいのであろうか。

「おお・・・」

わしも思わず嘆息し、ここから後は二人で合唱いたしました。

その歌に曰く、

安得広廈千万間、    安(いずく)んぞ得んや、広廈(こうか)千万間、

大庇天下寒士倶歓顔、 大いに天下の寒士を庇(おお)いてともに歓顔ならしめ、

風雨不動安如山。    風雨にも動かず安きこと山の如くならん。

嗚呼。           ああ。

何時眼前突兀見此屋、 いずれの時か眼前に突兀(とつごつ)としてこの屋を見んならば、

吾廬独破受凍死亦足。 吾が廬、独り破れて凍死を受くるもまた足れり。

 何とかして千本も万本も柱のある、大いなる屋根の家を得ることはできないだろうか。

 そしてその屋根の下に天下の寒々とした生活を強いられているひとびとを収容して、みなにこにこ顔にさせるのだ。

 いかなる強風、大雨の中でも、山のように安らかに暮らすのだ。

 おお。

 いつか遠い日に、われらの目の前にたかだかとそびえるその家が見られるのであれば、

わしらの庵など破壊され、凍え死なねばならぬとしてもかまわないのだが。

おしまい。

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「茅屋為秋風所破歌」唐・杜甫の上元二年(761)、四川・成都近郊の浣花草堂に棲んでおったときの作である。二人で合唱?しました「安くんぞ得んや、広廈千万間・・・」以下の句は古来名高く、わしも数年前、豊臣秀吉が厳島に作った千畳敷に寝転んでこの句を口ずさんでいたことがありまする。こんな社会主義的ユートピア、夢見ようとても夢も結ばぬことは理解していても、なおオトナの心にも何かしら響くものがありますなあ・・・ありませんか・・・。

 

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