平成22年4月25日(日)  目次へ  前回に戻る

卯の花の落つるは風のおこりかな

 いざ黒焼きにせん杜宇(ほととぎす)

の発句と付け句で名高い江戸の俳人・高島玄札のところへ、あるひとが自分の仲間で詠んだ百韻(連句の百句もの)を持ってきて、添削を依頼した。

玄札は早速添削して送り返した。

二十日ばかり過ぎて、このひとがまた同じ百韻を持ってきて、

おのれ取込のことありていまだ開かず、そのまま置きしが、誰が持ち行きしやさらに見えず、面倒ながら今一度直してたべ。

わたくし、急ぎの用があっていただいた添削を開いて見ることができないでそのまま置いておいたところ、誰かが持ち去ってしまったものかどこに行ったかわからなくなってしまいました。ご面倒をおかけしますが、もう一度添削願いたいのです。

と言うのである。

玄札はそれを聞くと、

いらへもなくふたたび点してあたへぬ。

答えさえせずに、ほいほいと再び添削して返したのであった。

さて。

受け取ったひとは、仲間連中とともに翌日やってまいりまして、

「実は初めにいただいた添削、本の間に紛れておりましたのを見つけ出すことができました。これと新たにいただきました添削結果と、昨夜みなで集まってつき合わせてみたところ、ずいぶん違う結果になっておりました。

いづれの方宜(よろ)しかるべき。」

どちらの方が正しいのでございましょうかなあ。

すると玄札は即座に、

俳諧は日々上達するもぞ、われもわづかの間にすすめり。後巻を用いられよ。

俳諧というのは日々に上達していくものでござる。わたくしも二十日ほどの間にずいぶん上達したものじゃ。後からお渡しした方が正しうござる。

と答えたのもさすがであったが、さらに

作者がた随分出精あれ。

みなさんも精を出してがんばってくだされよ。

と教え諭したのにはみな恐れ入ったということである。

咲く花のかほどめでたき物はなし

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竹内玄玄一「俳家奇人談」より。昔のひとはえらいですね。

眼底が痛いので漢字を読むと疲れそうなので今日は和文を読んでみました。

 

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