平成22年3月27日(土)  目次へ  前回に戻る

何謂善人。無損于世者、則謂之善人。何謂悪人。有害于世者、則謂之悪人。

何をか善人と謂う。世に損なう無き者、すなわちこれを善人という。何をか悪人と謂う。世に害ある者、すなわちこれを悪人と謂う。

善人とは何かと言いますに、世の中に損害を与えないのが善人である。

悪人とは何かと言いますに、世の中に損害を与えるのが悪人である。

と、清の心斎・張潮「幽夢影」に書いてあった(第94則)。

善人とは世の中に利益をもたらす者、ではない。ということで、なかなか含蓄のある言葉です。が、なんだか「現政権批判」になってしまっているのが不思議ですね。

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こんな言葉もあった(第105則)。

宜于耳、復宜于目者、弾琴也、吹簫也。宜于耳、不宜于目者、吹笙也、擪管也。

耳に宜(よろ)しく、また目にも宜しきは、琴を弾くなり、簫を吹くなり。笙(しょう)を吹くなり、管を擪(おさ)うるなり。

耳にも快く、目で見ても快いのは、琴の演奏、横笛の演奏。

耳には快いが、目で見るとあんまりよろしくないのは、(頬を膨らませねばならない)笙の演奏、縦笛の演奏。

なるほど。

と思っていると、

「なるほど、なるほど」

と言いながら李聖許というひとが出てきて、付け足した。

宜于目不宜于耳者、獅子吼之美婦人也。不宜于目併不宜于耳、面目可憎、語言無味之紈袴子也。

目に宜しきも耳に宜しからざるは、獅子吼(ししく)の美婦人なり。目に宜しからずあわせて耳にも宜しからざるは、面目憎むべく語言味無きの紈袴子(がんこし)なり。

「獅子吼」は「ライオンが吼える」ということですが、もともとは仏典で世間の蒙昧を掃う仏陀の説法を表現する言葉。「紈袴子」の「紈」(がん)は「白い絹」のことで、「紈袴子」とは「白い絹のずぼんを穿いているいい家の子」という意味である。

目で見るとよろしいのですが、耳で聴くとやりきれないのが、美しい女性の怒鳴っているお姿。

目で見ても耳で聴いてもいやになってまいりますのが、憎たらしい顔をして言葉に味わいも無いどこぞのおぼっちゃん。

あれ? むむ・・・。

「まったく、まったく。しかし、大事なことを忘れておりまずぞ」

と言いながら龐天池というひとが出てきて、付け足した。

宜于耳復宜于目者、巧言令色也。

耳に宜しくまた目にも宜しきは、巧言令色なり。

「巧言令色」は「論語」

巧言令色、鮮矣仁。

巧言令色、すくないかな、仁。

言葉上手に顔つきにこやか。そんな中には、まごころはあまり無いものだ。

と批判されている、アレです。

耳で聴いても、目で見ても快いものがあるではありませんか。言葉上手に顔つきにこやか、なやつですよ。

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あれ? やっぱりまた現政権批判になってしまったような・・・。あんまりやっていると「友愛」されてしまうかも知れないのでもう止めておかないと・・・。

 

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