平成22年2月25日(木)  目次へ  前回に戻る

唐・玄宗皇帝の天宝年間のことでございます。

その1・・・・・・・・・・・・・

玄宗皇帝の信頼篤い宰相・李林甫には六人の娘がおり、それぞれたいへん美しいと評判であった。長安の貴人富家、年頃の男子はことごとく彼女らを妻にせんことを願ったが、なまなかな相手では釣りあわぬ。

「お父様がわたしたちにすてきなひとを選んでくれようとしているのはわかりますけど・・・」

「なかなか世間にはわたしたちにつりあう男はいないのでしょ?」

「父上、このままではわたしどもはみな老いてしまうばかりですわ」

「いい男はどこにいるのかしら」

「はよう、ヨメに行きたいのよう」

「さびしいのよう・・・」

と娘らは嘆くので、李林甫は致し方なく、宰相の執務室の壁に小さな横長の覗き窓を開けさせた。

この窓の周囲には

飾以雑珠、幔以絳紗。

飾るに雑珠を以てし、幔するに絳紗を以てす。

いろんな玉の飾りを施し、絳(あか)い薄絹をカーテンとして掛けてあった。

そして、

常日使六女戯於窗下、毎有貴族子弟入謁、林甫即使女於窗中自選、可意者事之。

常日、六女をして窗下に戯れしめ、つねに貴族子弟の入りて謁するあれば、林甫即ち女をして窗中に自選し、意に可なる者、これを事とせしむ。

毎日、六人の娘たちをこの覗き窓の向こう側で遊ばせておき、貴族の子弟が用向きあって李林甫に面会しに来ると、合図をして娘たちに覗き窓の向こうから覗き見させて、自分で男を選ばせ、気に入った男と付き合わせたのであった。

横長にしつらえたのは、六人が揃ってみることができるようにしたのである。

世間ではこれを「選婿窗」(婿選びの覗き窗)というた。

その2・・・・・・・・・・・・・

楊貴妃のまたいとこに当たる楊国忠は李林甫の後で宰相となって国政を取り仕切ったひとである。

だいたい楊貴妃はその姉妹も美人の誉れ高く、その一族には男女問わず豊麗な美しさを持つ者が多かった。楊国忠の子や甥に当たる若者たちもみな凛々しい美少年で、彼らの瀟洒な振る舞いは長安の妙齢の女性たちの心を躍らせたものであった。彼らは

春至之時、求名花異木、植於檻中。

春の至るの時、名花異木を求めて檻中に植う。

春がやってくると、あちこちの名高く妖しい花草、花木を捜し求めて、格子のついた籠の中に植えた。

この籠(「檻」)に

以板為底、以木為輪。

板を以て底と為し、木を以て輪と為す。

板を底に張り、木で造った車輪を取り付ける。

楊一族の少年たちは白い馬に跨り、銀の鞭きらびやかにしならせて春の長安郊外に出かけ、佳きところを見つけては宴席を張ったのだが、そのとき、

使人牽之自転、所至之処、檻在目前、而便即勧賞。

ひとをしてこれを牽きて自転せしめ、至るところの処、檻を目前に在らしめて、すなわち勧賞せり。

下僕どもにこの車を牽かせてごろごろと転がし、自分たちの行くところ、どこでもその「籠」を目の前に引いて行き、その場で観賞した。

世間ではこれを「移春檻」(移動式の春の籠)というた。

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五代・王仁裕「開元天宝遺事」巻上より。

1も2もロマンチックなお話ですね。みなちゃんはどちらが好きですか。

・・・ちなみに、一見明るいお話に見えますが、1の李林甫は「笑裏に刀あり」(笑顔の裏に鋭い刀をひそませている)と称され、表面柔和なれども陰謀で政敵を追い落とすのを常とした陰湿な政治家である。史書は彼を「柔佞にして狡数多し」(物腰柔らかでへつらうが、悪辣な策謀が多かった)と評する。宦官や妃らと結び、宮中の情報は委細に至るまで入手して、その奏上するところはそれらの情報をもとにして、玄宗皇帝の意を迎えるものばかりであったから深く信頼されたという。

一方2の楊国忠は、楊貴妃の親族として権勢の階段を駆け上がり、李林甫の死後宰相の地位に昇ったが決して有為の人物ではなく、安禄山を抑制するあたわずついに安史の乱を招いた。長安から蜀へ、玄宗皇帝に供奉して逃亡する途上、その失政に激怒する兵士らによって惨死せしめられた人物である。

林甫の娘たちも楊家の子弟たちも、このお話の直後の安史の乱の中では運命暗転してみなまともに死ねた者さえいなかったのだ。

1920年代のアメリカンポピュラー歌謡も思い見よ。「想い出」「リオ・リタ」「私の青空」「スウィート・ジェニー・リー」・・・・いったいどこに30年代の暗闇が予想されようか。一歩先に暗闇が待ち受けていても、明るいうちの世界は明るく見えるものであるということなのだ。

 

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