平成22年2月16日(火)  目次へ  前回に戻る

おそろしいことにゃ。

蘇東坡の句に

養猫以捕鼠。不可以無鼠而養不捕之猫。

蓄犬以防奸。不可以無奸而蓄不吠之犬。

猫を養いて以て鼠を捕らう。鼠無きを以て捕らえざるの猫を養うべからず。

犬を蓄えて以て奸を防ぐ。奸無きを以て吠えざるの犬を蓄うべからず。

ネコを飼うのはネズミを獲らせるためである。ネズミがいなくなってしまったら、捕らえるネズミのないネコなど飼っておかない方がよい。

イヌを飼うのは悪いやつが忍び込んでくるのを防ぐためである。悪いやつがいなくなってしまったら、吠えることの無いイヌなど飼っておかない方がよい。

というのがございます。

必要があって使ったものが必要無くなったときにはさっさと処分してしまうべく、必要の無いものをいつまでもそのままにしておいてはよろしくない、ということらしい。

これについては、我が(←肝冷斎のことにあらず)知人の盧陵の羅景綸がさらに一歩を進めて要らぬ解説をしてくれている。

不捕猶可也。不捕鼠而捕鶏則甚矣。

不吠猶可也。不吠盗而吠主則甚矣。

捕らえざるはなお可なり。鼠を捕らえるして鶏を捕らう、すなわち甚だしきかな。

吠えざるはなお可なり。盗に吠えずして主に吠ゆる、すなわち甚だしきかな。

捕らえるものが無いならまだいいのだが、ネズミを捕らえずにニワトリを捕らえるやつはもっと困る。

吠えないのならまだいいのだが、盗人に吠えずに飼い主に吠えるやつはもっと困る。

それはそうだが、

疾視正人、必欲尽撃去之、非捕鶏乎。

委心権要、使天子孤立、非吠主乎。

 正人を疾視し、必ずことごとくこれを撃去せんとするは、鶏を捕らうるにあらざるか。

 心を権要に委ねて天子をして孤立せしむるは、主に吠えるにあらざるか。

(邪悪な官僚を取り締まる職にあるものが)正しいひとたちを憎み、彼らを批判してすべてたたき出してしまおう、とするのは、ニワトリを獲るネコと同じである。

(皇帝をお守りすべき立場にあるものが)権力を握った大臣の言いなりになって、皇帝を孤立させてしまうのは、飼い主に吠えるイヌと同じである。

と、ついに政治思想的なものにまでされてしまいました。

彼はこの論理で政敵たちを批判し出した。勝つか負けるかはわかりませんが、ご苦労なことである。

さて、わたしの知るところでは、

徐州産鼠一種。

徐州に鼠の一種を産す。

河南の徐州には珍しいネズミが生息している。

これを「徐州鼠」というのですが、このネズミは、普通のネズミよりも大きさは比較的に小さい。しかし、

遇猫則以嘴扭其鼻。猫伏不能動。

猫に遇えばすなわち嘴を以てその鼻を扭(ひね)る。猫伏して動くあたわず。

ネコに遭遇すると、口で相手の鼻をくわえて捻るのである。すると、ネコはべったりと腹ばいになって動けなくなってしまう。

ああなんということであろうか、

是以下犯上矣。

これ、下を以て上を犯すなり。

これは、しもじもにあるべき小ネズミがおえらがたであるネコさまをやっつけてしまうということである。

羅景綸の論理によれば

大逆不道。

大逆にして道ならず。

たいへんな反逆行為で非道というしかない。

ということになってしまうのであろうか。

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これは清の在園・劉廷璣「在園雑志」巻三に書いてあった。

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明・謝在杭「五雑組」には「百斤のネズミ」というものが記録されている。一斤は約600グラムである。

有識者曰吾聞百斤之鼠不能敵十斤之猫。

有識者曰く、「吾聞けり、百斤の鼠も十斤の猫に敵するあたわず」と。

物知りびとが言うには、

「わしは、60キログラムあるネズミも6キログラムのネコにかなわない、聞いたことがあるぞ」

と。

蓋試之。

けだしこれを試む。

というので、実験してみました。

まず、

求得一巨猫十余斤者。

一巨猫、十余斤なるものを求め得たり。

7〜8キログラムもあろうという巨大なネコを入手してきた。

さて。

百斤のネズミの方はどうするか。

鼹鼠(えん・そ)という大きなネズミがいるという。

鼠大有如牛者、謂之鼹鼠。

鼠の大なること牛の如きものあり、これを鼹鼠という。

大きさがウシほどもあるネズミがある。鼹鼠(えんそ)という。

伝えられるところによると、

揚州有物度江而来。形状皆鼠而体如牛。

揚州に物あり、江を度(わた)りて来たる。形状みな鼠にして体牛の如し。

江南の揚州(←昨日も出てきましたね)には怪しい物が出る。長江を渡ってくるのだそうで、姿形はネズミそっくりなのだが、大きさはウシぐらいあるというのだ。

ひとびとはその怪物の名前さえ知らないという。このネズミなら百斤ははるかに越えているであろう。

そこで巨大ネコを連れて揚州に行き、

往鼠一見即伏、不敢動為猫咋殺。

鼠に往くに一見即ち伏し、あえて動かずして猫の咋(く)い殺すところとなる。

その大ネズミの居場所に連れて行ったところ、ネズミは一目見てすぐに腹ばいになって動かなくなり、とうとうネコに食い殺されてしまったのだった。

ということで、実験成功です。

此亦鼠之一種不恒有者也。

これまた鼠の一種にして恒にあるものならざるなり。

このドウブツもネズミの一種で常にあるようなものではない。

それでもこうなのである。やっぱり巨大なネズミも十斤ネコにはかなわなかったのだ。(←このお話は3〜4年前に紹介したことあるような)

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この「徐州鼠」「揚州鼠」の二つを比較すれば、

○16世紀の明の時代には、ネズミはネコより大きくてもネコの前では身動きもできずに食い殺された。

○18世紀の清の時代には、ネコはネズミより大きくても鼻をひねられて身動きできなくなってしまった。

ということがわかります。すなわち、

●20世紀の大米帝国において、ネコのトムがネズミのジェリーにいつもいつも非道な目に会わされたのも、進化論的な必然のなすところであったのだ。

ということがわかりました。

 

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