流されていくのだなあ。

 

平成21年 5月13日(水)  目次へ  昨日に戻る

万暦己酉年(1609)夏五月二十七日、わたくし(←謝在杭のこと)の住む福建の福州の町の西南門外に、

白浪連天。

白浪天に連なる。

白い波が天に連なるかと見えるほど、高く上がって見えた。

「な、なんだ」「どうしたというのだ」

とひとびとが立ち騒いでいると、

天色晴明而水暴至。

天色晴明にして水暴至せり。

空は晴れ晴れとしているのに、(福州城の南側を西から東に流れる閩江の)川の水が突然膨れ上がったのである。

水はたちまち城壁を越えて城内に入り込み、わたくし(謝在杭)の家でも庭から部屋に上がる階段はあっという間に水に没し、大家族が集合する「堂」の床上にも浸水してきた。そこで、わたしは家族のものを、中庭に設けてあった築山の上に昇らせたのであったが、この築山も高さは数丈であり、周囲は瞬く間に水に取り囲まれてしまった。

女たちは、

水上台、可奈何。

水、台に上らば、いかんすべき。

「水がこの山の上まで来たらどうすればいいのよ!」

と騒ぎ、さりとてわたしにも何の策も無い。

夕暮れが近づいてきて、ふと、一面の水の彼方、閩江の流れているはずのあたりを見ると、

浮尸蔽江而下、亦有連楼屋数間泛泛水面、其中灯火尚熒熒者、亦有児女尚聞啼哭声者。

浮尸江を蔽いて下り、また楼屋数間を連ねて水面に泛泛(へんへん)し、その中に灯火なお熒熒(けいけい)たるあり、また児女のなお啼き哭するの声を聞く者あり。

浮かび上がった死体が水面を覆うほど流されて行き、また、家屋数軒が連なってそのまま流されていくのだが、その中には(おそらくひとがまだ生きているのであろう)灯火をあかあかと灯したままになっているものがあった。さらには、ともにいる女たちは、何かに摑まって流されていくひとが、助けを求めて泣き声を上げているのが聞こえる、という者もいた。

それらは救い出せるひとも無く、ただ濁流に載せられて暗い海に向かって流れていくばかりであった。

「われらもあのようになるのではございますまいか」

と家族の者があるいは泣き出し、あるいは絶望して倒れこむ中、

「兄上、兄上」

と呼ぶ声がする。

見ると、妹婿の鄭正伝が、肩まで泥の中に浸かりながら自ら何かを引っ張ってやってきた。

それは、四人担ぎの輿で、水上ではまるで舟のように浮いているのである。

わたしと鄭は、その輿に女どもを乗せ、自分たちもそれに摑まって邸宅の方に向かい、女たちを屋根に運び上げてようやく落ち着いたのであった。

しばらくすると先ほどまでわたしたちが居た築山も水に覆われてしまい、水が退いて再びそれが現われるまでに二日を要した。

その間に噂で聞いたところでは、前日の二十六日、上流の建安で山崩れが起こり、山中に貯まっていた水が建渓の谷に溢れ出したのであるという。

建安城ではすべての城門を閉ざして水の入るのを防ごうとしたが、水は城壁を越えて城内に入り、建安の町だけで

溺死数万人。

溺死するもの、数万人。

溺れ死ぬもの数万人を数えたという。

ほぼ全滅である。

さらに水はそれより下流の

両岸居民、樹木蕩然如洗。

両岸の居民・樹木、蕩然として洗うが如し。

両岸の住民と樹木も、洗うがごとく一掃してしまった。

ある宿場町では、両岸から堅固な石橋の上に逃れたひとびともいたそうだが、上流から見たこともないほどの大木が流れてきて、橋を崩してしまい、何百というひとびとが水中に飲まれてしまったそうである。

これらが流れてきたのが、わたしたちが見聞きした家屋や死体や泣き叫ぶ声であったのだ。

―――水が退いた後、浸水した倉庫の粟米はすべて黒く変色して腐臭がし、手に触れれば砕けてしまって使い物にならなくなっていた。ひとびとの生活は水害の後も大変な苦しみが続いたのであるが、わが福州の富豪の中では、林世吉というひとが、莫大なお金を出してひとびとを救い、また流されてきた死体を集めて葬ってやり、その数は千数百に達したのである。

その一方で、どなたとは申し上げないが、

反拾浮木無数、以蓋別業。

反って浮木無数を拾いて以て別業を蓋う。

反対に、流れてきた無数の木材を我が物として、別荘を作った。

というひともおられた。

さらには、そのひとのことを「賢者だ」ともてはやすひとまでいたが、本当の賢者はどちらであったであろうか。

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明・謝在杭「五雑組」巻四より。

 

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