平成22年2月13日(土)  目次へ  前回に戻る

たばこの煙で、ステージはまるで霧の向こうのようだった。

おれはその霧の向こうに、やつら――どうしようも無いやさぐれだが、ステージの上でだけ神になれるやつら――の熱いソウルを感じていた。

ステージの上はやつらのためのオリンポス、そしておれは神託を待ち望むアテナイびとだったんだ。

身を折るようにしてサックスを鳴らすのは、クレイジー・ジン。

クスリか酒のせいでだいぶヤラれてるから、て噂もあるが、やつのパフォーマンスはいつだってクレイジーだ。

さっきから巨体を揺らしながらピアノを叩き続けるのは、バッドマン・カッシー。

ほらふきのひとの良さそうなデブ。いつも自分が若いころどんなに非道なことをしていたか自慢するが、全部うそらしい。

そして、自分で自分に酔うように、ペットを吹くのが、ハック・ザ・ドランカー。

いつも夢を探すようなうつろな目で世界を見ている詩人だ。今、この金陵(ニューオーリンズ)でこいつの右に出る表現者はいないだろう。

さあ、今日のセッションがはじまる。おれたちは指笛を、あるいは足を踏み鳴らして、やつらを歓迎してやったさ。

まずはカッシーが、めんどうくさそうに鍵盤を叩きながら歌った。

 

青い草の向こう 柳は黄色

紅いのが桃で 白く咲くのがすももの花さ。

 

春の風は吹くが こころは晴れぬ

春の日は長く おいらの罪はまだ赦されぬ。

 

    春思             賈至(か・し)  

  草色青青柳色黄、  草色は青青として柳色は黄、

  桃花歴乱李花香。  桃花は歴乱し李花は香る。

  春風不為吹愁去、  春風は愁いを吹き去るを為さず、

  春日偏能惹恨長。  春日はひとえによく恨みを惹いて長し。

 

次はジンの、クレイジーな歌声が響く。

 

日は暮れていき、からすは鳴き乱れはばたくのさ 

おいらの目に見えているのは二つ三つの墓石だけだが。

 

墓場の木は知らないのか、みんな行っちまったのを

春が来るとまた咲かしてる四つ五つの青白い花を。

 

    山房春事            岑参(しん・じん)

  梁園日暮乱飛鴉、   梁園に日は暮れ 乱れ飛ぶの鴉、

  極目蕭條三両家。   目を極むるも蕭條たり 三両の家。

  庭樹不知人去尽、   庭樹は知らず 人去り尽くすを、

  春来還発旧時花。   春来たればまた発(ひら)く旧時の花。

 

さあ、最後はハックの番だぜ。

「ハック、酒が足りないんじゃねえか」

おれは手にしていたウイスキーの小瓶を、ハックに向かって投げた。

ハックはそれを機敏に摑むと、

「おれが酔ってないってことがいつかあったかい?」

とおれに向かってウインク―――男のウインクなんて願い下げだがね―――、

そしてウイスキーで口を塗らすと、はじめはゆっくりしたスキャットで、それから渋い声で、歌ってくれたさ。

 

あのこのひとみのようにすてきな半月が空に

その半月のかげをテネシーの河は映してくれたのだが

 

はるかな南部の町の煤けたふるさとに向けて

この舟を出すおれにアパラチアの山は月を隠しちまった。

 

    蛾眉山月歌         李白(り・はく)

  蛾眉山月半輪秋。  蛾眉山月 半輪の秋。

  影入平羌江水流。  影は平羌江の水に入りて流る。

  夜発清渓向三峡、  夜、清渓を発して三峡に向かう、

  思君不見下渝州。  君を思えども見えず 渝州に下る。

 

それからまたやつはペットを高らかに鳴らしたもんさ。フッハー。

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失礼しました。原詩はいずれも「唐詩選」巻七より。この間、ルイ・アームストロング先生のベスト集みたいなのを聞いていて、一度はこんな訳をしてみたかったってわけさ。

今日は某所にて山崎ハコ先生のライブを参観してまいりました。開演前にお店のひとから「やまざきハコさん」と紹介があって客席から「やまさきだ」と突っ込みが入る、という、お約束というか「仕込みではないか」とさえ思われる一幕があって進行いたしました。

わたくしが田舎から出てきたころにはすでに山崎ハコ先生は神格化されていたので、ずっとはるかな高みの坂の上の雲のひとかと思っていましたが、こんなに近いところで活動しておられたとわわわ(いろんな諸事情があるそうですが)。終了後、物販でサインしてもらって直接お言葉もいただいた。握手もしてもらった。手を洗うともったいないのでしばらくお風呂に入らないことにしました。(←うそ。もう入った)

内容はまた別のひとが評するでしょうから、わたしの言葉のような空っぽの言葉で何かを書き付けるのは如何なものかとさえ思うた。彼女はライブの方が素晴らしい、とは聞いていましたが、背中ぞくぞくした。彼女が歌うと、視覚的なイメージが虚空に広がる感じがしたです。そこにいるひとびと、それぞれ違うことを感じているのだろうに、みんな同じものを見ているのではないか、という錯覚に何度か捕らわれた。

すばらしかったです。なお、MCに九州ことばが多くて驚いた。それから、安田裕美さんがかっこいい。男はやはりでぶでなければ、の思い新たにした。このひとも伝説的ギタリストだと思っていたのでこんな近くで見れるとは思わなかった。

今夜はいい夢が見られるかも知れない・・・、と思ったけど眠れないだろう。まだ胸が熱いから。

 

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