平成22年2月8日(月)  目次へ  前回に戻る

九州に帰りたい・・・

晋の泰始元年(265)、

頻斯(ひんし)

という国の使者が洛陽にやってきた。

もともとこの使者は魏帝への国書を奉じてやってきたのであるが、この年、魏の元帝が退位して陳留王となり、禅譲を受けて晋の武帝が即位した後であったので、晋朝に来朝した形になったのである。

この使者は通常のひとよりもすらりと背が高く、おそろしく甲高い声で話すのであったが、特に目を引いたのはその衣服である。

五色玉為衣。

五色玉を衣と為す。

肌の上に、五色の玉を繋いだものを、服として着ていたのである。

玉の衣は古代チュウゴクに無かったわけではない。高貴な死者の屍を葬るに、死体に着せたおそらく呪術的な意味を持つ衣が「玉衣」で、玉の小さな板を金糸で繋いで衣にしたものが「金縷玉衣」、銀糸で繋うだものが「銀縷玉衣」という。しかし、生きているひとが着れば、玉の間から肌が見えて、ちょっとエロチックな感もある変な格好である。

賚金壷。壷中有漿如脂。

金壷を賚(もたら)す。壷中に漿の脂の如きものあり。

黄金の壷を持参したが、その壷の中には、ラードのような、じっとりとした液体が入っていた。

使者が言うには、この液体を、

嘗一滴則寿千歳。

一滴を嘗むればすなわち寿千歳なり。

「一滴舐めれば寿命は千年に至りまする。」

と。

多くのひとびとがその液体を望んだが、使者は壷ごと朝廷に献上してしまったので、ひとびとがその効果を試す機会は無かった。

さて、そのひとの言うところでは、その国には、

有大石室、可容万人。

大石室あり、万人を容るるべし。

巨大な石室がありまする。中には一万人が入ることができまする。

その石室の天井には、三体の神の像が刻まれているのだという。

―― 一は天皇、十三の頭を持ち、

―― 二は地皇、十一の頭を持ち、

―― 三は人皇、九つの頭を持ち、

―― いずれもその身は龍の姿なり。

エローラの石窟寺院みたいなところに龍(ナーガ)神の像が祀られていたのを表現しようとしているのでしょうか。

国人不食五穀、日中無影、飲桂漿。

国人は五穀を食らわず、日中影無く、桂漿を飲む。

わが国びとは米・麦・豆・粟・稗などの穀物を食糧といたしませぬ。真昼には影ができませぬ。桂のような香りのある樹の果汁を飲用にしておりまする。

この記述からは、

・五穀を食らわぬということは、イモ栽培文化、あるいはヤシなどの果物を中心とする採集文化であること。

・真昼に影が無い、すなわち太陽が真上にある、というのであるから、赤道直下にあるらしいこと。

・芳香性の果汁が入手しやすいこと。

などがわかります。

なお、あるひとが、

「あなたの国では男も女もそんな玉製のスケスケの服を着ているのですか」

と訊いたところ、玉製の服は正装であり、普段は

羽毛為衣。

羽毛を衣と為す。

鳥の羽の服を着ていますね。

とのことであった。

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晋・王嘉「拾遺記」より。

ひらひらした軽やかな羽毛の衣の間から、輝く黒い肌をチラ見せするおとめごが、南国の光の下で誘うのである。

「これは・・・夢にちがいない」

と思うひとがあるかも知れませんが、しかし現実に南国の生活はあるのである。

温帯の人口密度の高いところで、夏はじめじめしてバテてしまい、冬は寒さに震えながら、いそいそと働いているわれらの人生こそ、

「これは・・・悪い夢にちがいない」

のではないでしょうか。

 

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