平成22年1月7日(木)  目次へ  前回に戻る

「わしではないぞ」

身近にこんなひとがいたら困る、という例。

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唐の孟弘微というひと、朝廷に仕えて中書省の郎中の職にあった。

郎中の職は皇帝の御下問に答えるためにお側に侍ることがあるが、その当番のとき、皇帝からの下問を待たずして、突然、

陛下何以不知有臣。

陛下何を以て臣有るを知らざるや。

陛下はどうしてわたくしのような有用な臣下がおるのをご存知ないのか。(どうしてわたくしを重用されないのか。)

と語り始めたのであった。

時の皇帝は唐の末期にあって中興の名君と称される宣宗皇帝(在位847〜860)であったが、とりあえずびっくりして孟弘微の顔をまじまじと見つめた。

孟弘微は皇帝の不審など気にならぬようで、続けて

不以文字召用。

文字を以て召用せざるや。

わたくしの文章を評価してお使いにならないのはどういうことなのでございますか。

と言って傲然と反り返っている。

さすがに皇帝は怒り、

卿何人、斯朕耳全不知有卿。

卿は何びとぞ、すなわち朕のみ全く卿有るを知らずとするや。

おまえは自分にどれほどの権威があると思って、どうしてわしだけがおまえを知らないと決めつけるのだ!(おまえなど誰も認めておらんぞ!)

と声を荒らげ、面前から下がらせた。

孟弘微の不思議なところは、皇帝からこれだけのお叱りを受けながら自分が何か罰せられるとは全く思わないでいられるところで、皇帝の面前から退出を命じられたことを上司にも報告せずにおいた。

翌日、宰相は皇帝から呼び出しを受け、おそれながらと畏まると、

「卿は中書の孟某を存じておるか」

と問われた。

平伏して言う、

「お恐れながら名前は存じておりますが、どのような男かは知りませぬ」

皇帝、頷きながら苦笑して

此人躁妄。

このひと、躁妄なり。

きゃつは自信過剰な上、調子に乗りすぎておる。

と前日のことを告げたのであった。

「わしへの不遜の態度ごときできつく罰するほどのこともあるまいが、そのような者を重職に就けるわけにはいくまいぞ」

「ははー」

宰相は執務室に戻ると、すぐに辞令を作成して、孟弘微の官位を一等下げ、皇帝のもとに伺候する身分から外した。

しかし孟弘微はそのことが不満で、長いこと宰相への怨みを口にしていたそうである。

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この事件などは特段の被害者も無いからまだ笑うだけで済ませるかも知れぬ。

身近に本当に被害者が出た。孟弘微はその後、家庭内で事件を起こしたのである。

何か原因があったことらしいが、激怒して自らの弟を井戸に突き落として殺してしまったのだ。

さすがに世間から「なんらかの処分をすべき」と批判する声が上がり、ことは御使の知るところとなったが、孟は自信のある文章を以て、

懸身井半、風言沸騰。尺水丈波、古今常事。

身を井に懸くること半ばにして風言沸騰す。尺水に丈波あるは古今の常事なり。

(弟の)体を半分井戸端から吊るしただけで、世間の噂は湧き立っておりますなあ。一尺(当時約31センチ)しか深さの無い水に一丈(=十尺)の波が立つ(=噂に尾鰭がついて大きくなる)のは古よりよくあることでございますゆえに。

と自らの無実を主張し、御使では他の事件も多かったこともあり、結局「家内のことであり事実は明確でない」という理由でお咎め無しとなった。

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隣人にも被害者が出た。

孟の隣には鄭諷というこれも官位のあるひとが住んでいて、

「あのような者の隣に住んでいるので、どんな言いがかりをつけられるかと思って心配ですじゃ」

と言っていたが、やがて鄭諷は遠く南海従事(広州地方の高等地方官)として赴任することとなった。

鄭が赴任してしまうとすぐに、孟は垣根から五六尺まで境界を侵して自分の地所のように使い始めた。留守を頼まれていた知り合いが見回りに行って気づき、官に訴え出たところ、孟は訴状に答えて、

地勢尖斜、打牆夾入。

地勢尖斜なれば、牆を打ちて夾(はさ)み入るなり。

(本来の)土地の境界が少し尖って入りこんでいましたので、垣根を壊して両側から入りこんでしまったのでございます。

と悪びれたところも無い。

あまりの言い状に判官が呼び出しをかけ、

「土地を侵しているのが明らかになることが無いとどうして思えたのか。いずれ必ずばれるに決まっているであろうが!」

と詰問すると、孟は憮然として、

「判官のそのお考えには従い難い。

海隅従事、少有生還。

海隅の従事、生還するあること少なし。

(隣家の鄭諷は)はるか南の蛮族の住む海辺に赴任したのですぞ、生きて帰ると考える方がおかしいではないか。」

と真顔で答えたのであった。

判官も唖然として、土地の侵害は差し止められたが、刑罰までは与えられなかったという。

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孫光憲(字・孟文)「北夢瑣言」巻九より。きわめて激しい社会変動が起こった唐末から五代にかけては、我が国の中世末(戦国〜安土桃山)に似て、やることなすこと荒くれて血なまぐさい時代です。こういう人としてのあり方がどこかずれたようなひとがいて、

平生操履、率皆如是、不遭擯棄、幸矣。

平生の操履、率(したが)いてみなかくの如く、擯棄に遭わざること、幸なるかな。

普段の行動はこんなことばかりであったのだ。どうして朝廷から擯(しりぞ)けられたり棄てられたりしなかったのか。まことに幸運なことであったというべきであろう。

と評されるように、処罰されるどころか高級官僚としてその身を終えることができたのも時世というものじゃ。

「怪しからん。マジメに生きている人間から見ればどういうことかと言いたくなる」

と運命の女神の不公平なるを批判したいところですが、「うるさいわね」と叱られた上、「おまえ、気に食わないから運命をもっと悪くしてやるよ、ちちんぷいぷい」とヤラれてしまうかも知れませんので止めておくのがよろしかろう。

 

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