平成21年 9月 7日(月)  目次へ  前回に戻る

南宋の真西山、福建・浦城の地に住み、その居所を「学易斎」と名づけた。

ある年の初春、「学易斎」に春聯を掲げて学生たちに示した。

曰く、

坐看呉越両山色、  坐して看る呉越両山色、

黙契羲文千古心。  黙して契す羲文千古の心。

 (この書斎に)座ったままで、(古代の)呉と越の両方の地の山の様子を見渡し、

 (この書斎で)沈黙のうちに、(原始の聖人)伏羲と(古代の賢者)文王の心と約束を交わす。

これは明の王圻父子の「三才図会」に書いてあった(人物七巻)。(「三才図会」は百科事典なので、その記述のもとになった記録がどこかにあるのでしょうがそこまでは当たれておりません。)

評判の対聯であったらしく、その後、清の時代も末近く、同じ福建の梁章矩が「学易斎」の発展した「南浦書院」の主講(筆頭教官)になったとき、

擬為敬録此聯、懸之楹柱。

擬してこの聯を敬録して、これを楹柱に懸けんとす。

(宋の大儒・真西山を表彰して)この対聯をうやうやしく書き写し、それを書院の柱に懸けよう、と考えた。

のであるが、

因循未果。

因循していまだ果たさず。

決断できずにぐずぐずしていた。

うちに退職してしまったのを残念がったそうである。(このことは「楹聯叢話」巻一にあり)

 

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