平成21年 8月15日(土)  目次へ  前回に戻る

お盆なので少しでもみなさんが真似をして心がよくなれるようなお話ができれば・・・、と思います。

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繁昌出身の魏康孫は、科挙試験に合格して進士の資格を持つ青年であった。

いつも物静かに笑っている如何にも育ちの良さそうな好人物だが、その左手に黒い革の手袋をつけていて、夏場であっても、親しいものだけの席でなければ外すことはない。

わたしはつい好奇心に駆られて、ある席で、

「進士どのの左手はどうなっておられるのか。特に差し支え無ければ一度見せていただけないものか」

と聞いてみたことがある。

孫進士はにこにこ微笑みながら、

「別に隠さねばならないことでもないのですが、ご覧になった方が気味悪がるといけないので・・・」

と手袋を外しながら言うに、

「もともとわたしの家は地方では名高い豪農で、たいへんな財産を持っておりました。しかし、父には中年を越えるまで子が無かったのです・・・」

一日有僧造門、乞施三百緡造橋。

一日、僧の門に造(いた)る有りて、三百緡(びん)を施して橋を造(つく)らんことを乞う。

ある日、家の門前にひとりの僧侶がやってきて、三百緡という大金を乞うた。僧侶は近くの川に社会事業として橋を架けたいと考えており、その原資にしたい、というのである。

銭千枚を紐で刺したものが「一緡」ということになります。とりあえず感覚的には三百万円ぐらい求めたのではないでしょうか。

魏康孫の父は、しかし、世慣れたひとであったから、

「そう言うて寄進を求めて持ち逃げするのではないかな」

と寄進を断わった。

するとその僧侶は、魏家の門前に立ったまま、荷物からおもむろに大きなろうそくを取り出し、それに火をつけた。

そして、右手にそのろうそくを持ち、左手の人差し指を突き出して、炎の先であぶりはじめたのである。

しゅう。

脂肪の燃える臭いがして、指から煙が出始め、ぽたぽたと脂を垂らしながら、指はだんだんと黒ずんでいく。

しかし、僧侶は微動だにせずに指をあぶり続け、

遂然一指。

ついに一指を然す。

「然」は「燃」の本字。

とうとう指が一本、燃え落ちるまであぶっていた。

近所のひとたちがみな見物に集まる始末であったが、魏家の主人は門番らに

「放っておけ」

と命じた。

すると、僧侶は今度は中指をあぶりはじめた。

やがて中指も燃え落ちる。

隣村のひとも見物に来た。

僧侶はさらに薬指をあぶりはじめた。

その薬指が燃え落ちるころ、ついに魏家の主人は自ら門前に出てきて、

「わしの負けじゃ。橋の建造費はすべてわしが支払おう」

と約束したのであった。

その後、橋の工事が始まるころ、僧侶は指先から毒が入ったらしく、高熱を発して死んでしまった。魏家の主人は僧侶の葬儀を執り行うとともに、その遺志を守って約束どおり橋の修繕を成し遂げさせた。

「―――そして、ちょうど

橋成而康孫生。

橋成りて康孫生ず。

橋ができあがったころ、わたしが生まれたのです。

父母はたいへん喜んで、わたしは大切に育てられた。ただし、わたしの指は生まれつきこうなっていたのだそうです―――」

と言いながら、魏康孫進士は、手袋を外した左手をわたしの前に突き出した。

その手を見て、わたしはさすがに生唾を飲み込んだのであった。

人差し指から薬指までの三本の指にまったく肉が無く骨がむき出しになっていて、その骨が真っ黒に黒ずんでいたのである。

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「池北偶談」巻二十六より。

 

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