平成21年 8月 5日(水)  目次へ  一昨日に戻る

一昨日、王阮亭がせっかく油井(油田)と火井(天然ガス田)の話しをしてくれましたので、ついでに本朝・橘南蹊の名著「東遊記」の記述も見ておきましょう。ちなみにこの本と姉妹編の「西遊記」とは、ホラ話集かと思うぐらいオモシロいことがたくさん書いてあります。幼いころに聞いた諸国ふしぎ話の元話がここにあったのか、と気づくものも多く、読書人必見の書ですな。まあみなさんはカシコいから、もちろんアレしてるでしょうけどね。

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越後国・弥彦の宿駅より南に入ること、五里。三条という町がある。甚だ繁華の地である。この三条からさらに南に一里、如法寺村という村があり、この村に二軒、

自然と地中より火もえ出る家

があるのである。

このうち、百姓庄右衛門といふ者の家に出る火が大きい。その家では、

三尺四方程の囲炉裏の西の角に、ふるき碾臼を居(す)ゑたり。

その臼の穴に、箒の柄ほどの竹を一尺余に切って差し込んであり、その竹の柄の先に火を寄せると、

忽(たちまち)竹の中より火出て、右の竹の先にともる。

のである。その灯は普通の灯火のような色をしているが、そこそこ明るい。庄右衛門の家では、この火を用いるため、もう何代もの間、油を用いていないのそうだ。

「この火は、いつごろから出ましたのか」

と問うに、

正保二年三月

ということであった。(すなわち1645年である。)

その年、この家でふいごを吹いて作業をすることがあった。作業中に「ふと」地中より火の気が出て、以来天明六年(1786)の今年まで142年の間、毎日毎日出るのだという。

初めて出たとき、時の家人が驚いて、「他に火気が洩れてはいかん」と火気の出た地面に碾臼を置いた。その後は、「もしその碾臼を動かしたら火が消えてしまうかも知れん」と思われて、それからずっと、家の修理などがあっても、碾臼だけは動かすことは無いのだそうだ。

十里あまり東北にカラメキ村というところもあって、そこでも出るという。

かかる事唐土(もろこし)にもありて、あの方にては火井と名づくるといへり。日本の地にては、他国には無き事なり。

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また、芝田(新発田)の城下より六里ばかり東北に黒川という村がありまして、その東南の五六町ばかりに蓼(たで)村というのがあり、そのところに鯛名(たいな)川という小川があって、その川端に小さな丘があり、そこが杉林になっている。そこに小さな池があって、

其池に油湧くことなり。其油のわく池、此地に五十余ありといふ。

わたしはそのうち、手前の方の四つ五つを見ただけですが、池の大きさは四畳〜七八畳ばかりで、あまり大きいわけではない。

その池の水中に油がわき出てくるのであるが、水と油は別々に別れているように見える。水の中にあるときの油を見れば、その色は飴色であり、日光が当たると五色にきらめくのである。

このあたりの里びとはその池の上に小屋をかけて雨が入らないようにし、毎日油を汲み取る(この際、水を完全に分離するためカグマといわれる草に漬けて搾り取るそうじゃ)。この油を灯火に用いるに、松脂の如き匂いして少し臭い。ために

臭水(くさうづ)

と呼ばれるのである。

誠に地中より宝のわき出づるといふべし。されば、此辺の人は他国にて田地山林などを持ちて家督(相続財産)とするごとく、此池一ツもてる人は、毎日五貫拾(十)貫の銭を得て、・・・実に永久のよき家督なり。

このため、池の売り買いには多額の金銭が動くのだそうだ。

今年も油よく湧く池一ツ

が売り物に出たというので、「いかほどの価で売りに出たものかね」と訊ねると、

金五百両

というのであった。

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やっぱりカネ・カネ・カネの世の中なのですなあ。

以上、「東遊記」巻五「七不思議」より。(「七不思議」は越後の七不思議である。七つのうち、火井と臭水が@とAである。)

橘先生がホラを吹いているといけないので、「和漢三才図会」で確認しましたが、やはり越後の国の名物に

ア)臭水油  (黒川村に出づ云々)

イ)陰火  (蒲原郡入方村にあり云々)

が掲げられてある。

ア)は天智天皇の七年より知られておったという。イ)は石の穴に竹筒を突っ込んでその先に火がつく、とあるので、上述とだいたい同じことであろう。正徳癸巳年(1713)刊の「和漢三才図会」では「およそ百年ばかり前よりこれあり」ということであるから、正保年間より前からあったのかも知れぬし、正保年間からの七十年余を「およそ百年じゃ」と四捨五入しているのかも知れぬ。

 

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