平成21年 6月 7日(日)  目次へ  一昨日に戻る

帰去来兮。

夜月楼台花萼影。

行不得也。

楚天風雨鷓鴣声。

 帰り去らんか。

 夜月の楼台、花萼の影へ。

 行き得ざるなり。

 楚天の風雨、鷓鴣(しゃこ)の声するかたへ。

ああ。帰ろうではないか。

夜、月はたかどのに係り、花びらの影におまえと戯れた、あのふるさとの、あの時節へ。

されど、行くことかなわざらん。

ふるさとの空に風吹き湿り、越鳥の声の聞こえたあの日には。

わたくシは「帰去来兮」を「帰りなむ、いざ」と読むのが気に食わんので、そう訓じませんでした。

近代的な感じのセンチメンタリズムですな。

これは、何を隠そうか、晩清の英傑・文正公・曾国藩の、弟・国華の戦陣に卒したときに読んだ挽聯(葬儀の際に棺の左右に掲げる聯)である。

不著一字、自然沈痛。

一字も著せずして、自然に沈痛なり。

一字も悲しいとか辛いとかいう言葉が無いのに、おのずからに沈痛な感情が溢れている。

と評される。

わたくしの瀬戸内に帰る日もあと●ヶ月に迫ってまいりましたので、記念にここに掲げておきます。

ところで、鷓鴣(しゃこ)

鳥の名。シナに云ふ、形、母鶏に似て、頭は、鶉の如く、胸に白く円き点あり、背に、紫赤の浪の文あり、常に、南に飛ぶと云ふ、日本に産ぜず。李白詩「只今惟有鷓鴣飛」、康頼本草、下廿九、禽部「鷓胡、和名、之也古(しやこ)、一名、越鳥、形似母鶏」

「大言海」に書いてある。シナ、特に江南に特有の鳥である。

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清末〜民国初のひと、梁渓坐観老人・張祖翼の撰する「清代野記」中巻より。この本はたいへんオモシロい本です。今日引いたみたいな「きれいごと」は実は少なく、コワい話(←権力のどろどろの)がたくさんあります。気が向いたらどんどん紹介します。以前、このHPでも屈指の名作であると自認する「庫兵肛門納銀」のお話を紹介したことがありましたネー。→平成19年1月ごろでしたネー。正確な日付がまだ判明しませんネー。

ちなみに、

蝦蛄(シャコ)

は、煮ると淡紫色を呈し、これが石楠花(しゃくなげ)の花の色に似るゆえ、はじめ「しゃくなげ」と名づけられ、これがなまって「しゃこなげ」→「しゃこ」と呼ばれるようになったという(他説もある)。

 

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