平成21年 5月22日(金)  目次へ  昨日に戻る

六如慈周は江戸期の詩僧である。近江八幡の出身で、江戸・京都に住んだ。ちなみに天台僧として公遵法親王の秘書官を務めるなど、実務能力もわれわれ如きよりはずっと優秀である。

六如上人は、天明八年(1788)、数え年五十五歳、法親王の遷化に会い、京都・嵯峨野に隠退した。

その年の冬、彼一身にとっての大事件が起こった。

養っていたところのイヌが、居なくなったのである。

ただのイヌではなく、払菻狗(ふつりん・く)であった。

払菻(ふつりん)というのは、唐代、西域の遥か果ての国、と考えられていた国で、東ローマ帝国に比定されている。

払菻狗は、この遠い国から輸入された、という外国種のイヌである。(狆のことだ、ということであるが、最近イヌを見てないのでチンがどんなイヌだったか思い出せない。物忘れとかひどいんですわ。痴呆症等が出始めているのでしょう)

@この払菻狗を、六如は

我已食汝十年余。  我すでに汝に食らわすこと十年余。

わしはもう十年以上もおまえにメシを食わせて養ってきたのであった。

と言うているように、長く飼ってきたのである。

Aしかし、こいつはオロカにも、

一日談客夜深返、  一日談客 夜深く返るに、

錯認家人尾出廬。  錯(あや)まちて家人と認めて尾(つ)いて廬を出づ。

ある日、わしと談話していた客が、夜更けてから帰るときに、

わしか小僧どもの誰かだと思いこんで、迹について庵から出て行ってしまったのだ。

そのまま行方不明になってしまったのであった。

翌朝から、

東捜西索

したが、その行方は杳として知られなかった。

珍しいイヌであるから、どこかのひとが連れ去って行ってしまったのであろう。

六如は嘆いて言う、

平生侍童厭老痴、  平生 侍童は老痴を厭い、

逡巡旋退占便宜、  逡巡し旋(ま)た退いて便宜を占むに、

惟汝親狎如形影。  ただ汝のみ親狎して形影の如し。

普段から小僧どもは、わしが老いてボケてきているのを嫌がり、

逃げ回りしり込みして自分らに都合のよいようにしているのに、

おまえ(払菻狗)だけはわしに親しく狎れ、形に影が添うようにじゃれ遊んでくれたのであった。

(くそ、小僧どもは残って、かわいいイヌがいなくなるとは・・・)

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Bさて。

歳余隣人伝吉語、  歳余 隣人 吉語を伝う、

彼累累者在某許。  彼(か)の累累たる者は某のもとに在り、と。

一年余り経った。この間、元号が天明から寛政元年に替わった。ある日、隣りのひとが耳よりなことを教えてくれた。

「おまえさんところにいた、例のしょんぼり屋さんは、誰それのところにいるようじゃぞ」というのである。

イヌを拾った者から買った者がこれを転売し、何人かを経て隣人の知り合いのところに買われていたのだ。

早速訪ねていくと、払菻狗は、一年以上経っていたのに六如を忘れることなく、すぐに元の主人だと気づいて尻尾を振って近づいてきた。既に事情を聞いていた今の飼い主は、元の主人のところに戻すのが一番よろしかろう、と言うて、買ったのと同じ額でイヌを売ってくれたのであった。

こうして払菻狗はまたわしのところに戻ってきたのである。

Cよい話ではないか。

異類感恩理本一、  異類恩を感ずる、理はもと一なり、

況復宿縁誰究詰。  況やまた宿縁あるを誰か究詰せん。

丁寧記此誡児童、  丁寧にこれを記して児童を誡しめんとするに、

口頭唯唯腹咥咥。  口頭唯唯(いい)たるも腹は咥咥(てつてつ)たり。

思うに、ニンゲンと別の類のドウブツとの間でも、恩愛の関係が生じるのは、ニンゲン同士と同様であるのであろう。

さらに、わしとこのイヌとの間には、前世からの誰にも究め尽くすことのできぬ因縁があるに相違ない。

丁寧にこのことを書き記し、恩愛や前世のことをきちんと理解しない小僧どもの戒めとしてやろうと思う。

・・・のであるが、あいつらは、口さきでは「はいはい」と言いながら、腹の中では「ひひひひ」と笑っているのである。

(ああ憎い憎い小僧どもめ、いつかこいつらをすりつぶして肉団子にして仏に捧げてやるわい、ひひひひ・・・。)

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六如上人「所養払菻狗一旦失之踰年復還感紀其事」※より。

※は「養うところの払菻狗、一旦これを失うに、年を踰(こ)えてまた還る。感じて其の事を紀す。」と読みます。七言古詩の題名です。

「飼っていた外国種のイヌがある日行方不明になった。一年以上経って帰ってきた。感動してこのことを記した。」ということです。ちなみに長い詩なので適当にはしょっていますが、(  )の中は肝冷斎の補足なので原文には無い。

 

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