がんばらねばのう。(←仕事のことではないよ)

 

平成21年 3月30日(月)  目次へ  昨日に戻る

悟元道士・劉一明「通関文」より。先週の3月23日の続きでございます。

・・・任性関の前で、道士は払子を振りながら言うた。

「偏った性格のままに生きることがどのような害をもたらすのであろうか。

・師匠の指導を表では「まったくでございます」と従うふりをして裏ではそれに違う「陽奉陰違」

・朋友とお互いの行動を批評しあうときに、表では褒めておいて裏ではけなす「面是心非」

・誰かと同じ家に住んで、そのひとより少しでも多くの地を自分で使おうという「争強好勝」

・目上の者を欺き目下の者を圧迫してひとびとの間に争いを起こす「不能和衆」

そのほかにも、自己の学んだことを基準にして他人を批判したり、自己の聡明を誇って他人を軽蔑したり、言葉を吐き続けて他人に譲らず、自分の考えが矛盾してしまって悩み苦しみ、また度量が狭くてひとの言うことを聞かない、など・・・。

これらはみな偏った性格をそのままにして生きていることによって惹き起こされる弊害であるのじゃ。こんなことでは、外面では人に嫌われ憎まれ、内面では自分の中に毒を積もらせることとなるのだが、なんとそれでも、自分では間違っているとは思わず、自分はこれでいいのだ、と考えてしまう。

以是学道、縦老君対面、釈迦同居、何益于事。

是を以て道を学べば、たとい老君と対面し、釈迦と同居すとも、何ぞ事に益あらん。

こんな状況でタオを学ぶのでは、たとえ老子さまと対面し、おシャカさまと一緒に暮らしたからといって、よいことがあろうか」

わしはこれらの説教を黙って聞いておった。なかなか自分の性格を直すのはたいへんである。どこが間違っているかさえよくわからん。だからといって直さなくていい、とは思っていないのである。悩ましいので黙っていたのだ。

すると、童子が言葉を挟んだ。

「肝冷斎、何ゆえに黙っているのでちゅか。もしかしたら、任性関のくぐりぬけ方がわからないのではないでちゅか」

「む、むむむ」

わしは唸った。しかし、ガキに舐められているわけにはいかんので、

「い、いや、よくわかっておるのじゃが・・・」

と反論しかけると、道士、

「かーーーーっ」

と怒鳴った。

「うひゃあ、お許しを」

怒らせてしまったようなので、わしは謝りました。

道士曰く、

「相手が弱い童子だと思うと居丈高となり、相手がわしになるとすぐ謝る。まさにおまえの性格の偏りである」

「は、はい、申し訳ございませぬ」

「おまえはこの先、性格の偏りを改めていくよう努力せねばならん。しかし、おまえの性格の偏りは、すべてマイナスになるわけではない。ひとに怒鳴られたらとりあえず謝る、のは、タオを学ぶ者において全く否定されることではないのである。

おまえは、

一心在道、静坐常思己過、閑談不論人非、事事謹慎、歩歩検点、順人順理、随方就円、毋固毋我、以退歩為進歩、以不強為大強。

一心道に在りて静坐して常に己れの過ちを思い、閑談に人の非を論ぜず、事々に謹慎し歩々に検点し、人に順い理に順い、方に随い円に就き、固するなく我するなく、退歩を以て進歩と為し、不強を以て大強と為せ。

心を一つにしてタオに専念し、静かに座していつも自分の過ちを反省し、ひまに明かせてひとと話をするにも他人の悪口を言わず、事あるごとに慎み深く、一歩進むごとに自分の行動を点検し、ひとのことばに従い、この世の筋道にしがたい、四角には四角く、丸には丸く、頑固になることなく我儘になることなく、一歩退くのが一歩進むことだと考え、強くないことこそ大いに強いのだと考えるのだ。」

そこで、道士、童子の方をちらりと見た。

「あい、ここでちゅね」

童子は、

じゃーん、じゃーん、じゃーん・・・

とドラを鳴らした。

道士はドラに合わせて、しゅ、しゅ、と払子を左右に振り、

吾勧真心学道者、速将任性関口打通。低頭行事、柔弱安身、把己往一切固執、偏病、自見、自足条款、漸漸革去。

吾は勧む真心の学道者よ、速やかに任性関口を打通せよ。低頭して事を行い、柔弱にして身を安んじ、己れの往(さき)の一切の固執・偏病・自見・自足の条款を把りて、漸々として革(あら)ため去れ。

わしは、おまえたち、真心よりタオを学ぼうとする者たちに告げる、速やかにこの「任性関」を通り過ぎて行け。そのためには、いつも頭を低くして事を行い、柔軟に対応して身体を安らかにし、自分のこれまでのすべての固執すること・偏った変なところ・自分の見解や自分の満足といった約束ごと、これを段々と改めるようにするがよい。

学个無性道人、装个愚痴聾唖呆漢、常在切身上大事留心、日久必有所得。

この無性道人を学び、この愚痴・聾唖・呆漢を装い、常に身上の大事に切するに在りて心を留むれば、日久しくして必ず得るところ有らん。

性格の無い聖人になろうと考え、またオロカで痴れ者で耳聞こえず口利けず呆けたようなニンゲンを目指し、それらを以ていつも一身上の大切なことに対応するようにすれば、長くそうしているうちに必ずや大切なことを自分のものにすることができるであろう。

否則、一味任性、剛而不柔、過而不改、雖在道門一世、妄想明道難矣。

否なればすなわち一味に性に任せ、剛にして柔ならず、過ちて改めず、道門に一世あるといえども、妄想して道を明かにすることは難いかな。

そうでないならば、すべてのことを偏った性格に任せてしまうこととなり、強気に出て柔軟ではなく、過っても改めることなく、タオを学ぶことを一生し続けたとしても、間違った考えばかりで真実を明かにすることはできないであろう。」

「わ、わかりましてございます・・・」

わしは言われるままに頭を低くして「任性関」を潜り抜けた・・・。

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がんばって次の関門に行こうとしている肝冷斎先生に励ましのお便りを出そう。

 

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